父
永乃ゆち
私は父親の顔を知らない。
けれど私の顔は、父親にそっくりだと
ある日酷く私を殴った後、母が吐き捨てるように言った。
腫れて赤くなった頬を氷で冷やしながら
私は鏡を覗いていた。
(お父さんの眉は、こんなふうに真っ直ぐなんじゃろうか)
(お父さんの目は、こんなふうに二重なんじゃろうか)
(お父さんの鼻は、こんなふうに丸いんじゃろうか)
(お父さんの口は、こんなふうに小さいんじゃろうか)
会った事がないのだから、懐かしさを感じることもなく
ただぼんやりと、自分に似た大人の男の人がいる、と思っただけだった。
母はたまに父の母親(祖母)と連絡を取っていたようだった。
私に会いたがっていたそうだが、断固として拒否していたらしい。
連絡を取るのも、向こうからだけで
こちらからは一切連絡していないと言っていた。
一度、父に会いたいかと聞かれたことがあったが
私にとって、父という存在は赤の他人であって
そんな他人に会いたいも何もあるかと思い首を横に振った。
母は父から酷い暴力を受けていたらしく
酔って帰って来た時に一度だけその話をした事があった。
母はずいぶん苦労させられたらしい。
私はいつしか父を憎むようになっていた。
母は祖母に私の高校入学の時の写真を送ってあげたことがあった。
祖母はそれを父に渡したらしい。
祖母から送られた手紙にそう書いてあったらしく
母は「そんなつもりで送ったんじゃない」と怒りをあらわにしていた。
私は、そこで嫌悪と気味の悪さを感じた。
私の知らない人間が私の写真を持っている。
それだけで気味が悪かった。
二度と送らないでくれと母に言い
祖母と連絡を取るのも止めてくれと言った。
私にとったら、祖母も父も赤の他人だ。
いくら顔が似ていようが、私に父はいない。
母が祖母からの電話も手紙も無視し出してから数か月が経って
今度は私宛に一通の手紙が届いた。
祖母からだった。
中には写真が一枚と短い手紙が一通。
「あなたの異母兄弟よ。今年中学一年生なのよ」
達筆な字でそう書かれてあった。
写真の人物は、私の『異母兄弟』は、おそろしく
私に似ていた。
私はその場で嘔吐してしまった。
血が、流れてるんだ。
『父』の血が、流れてるんだ。
私は写真をびりびりに破って、手紙と一緒に燃やした。
母が私を殴るのも無理はないのかもしれない。
そう思った。
遺伝子が受け継がれている。
『父』と言う他人の遺伝子が。
それが私にはどうしても許せなかった。
この遺伝子をこれ以上増殖させてはならない。
そう思った。
2001年。私は結婚をした。
たった一つの条件を付けて。
それは、子どもはもうけない、というものだった。
夫は私の話と気持ちをよく理解してくれ
了承してくれた。
父は母と離婚後3度結婚したそうだ。
だから、あちこちに異母兄弟、異母姉妹がいるのだろう。
けれど、私は私で終わらせたかった。
私の中にある『父』の血は私で終わらせなければ
親が子を殴るという不幸が繰り返されるような気がしたからだ。
結婚して12年。
夫婦二人で気ままに暮らしている。
夫とは友達のように接している。
未だに仲が良いのは周りも認めている。
これで良い。
このまま私が終わってしまえば。
少なくとも一本の血筋は途絶える。
あの日鏡を見ながら
父の顔を想像していたことが
今では気味悪く思えて仕方がない。
早く。
早く終わらせなければ。
『その時』を今か今かと
待ちわびている。