ブリキの森と紙の古城とウルサい湖畔の魔法
木屋 亞万

 月夜の晩に森に迷い込んだ。ブリキでできた木の幹と葉っぱの上を、糸状に光が跳ねていくので、歩くだけで遊んでいる気分になった。
 月のかけらを吊るした糸を、ぶら下げながら歩く男の子と出会った。騒がしく音がする方へ進めば湖があり、音に背を向けて歩けば紙の古城に着くと言う。
 城が紙でできているというので、雨が降っても大丈夫なのかと心配したが、彼は雨について知らないようで、水が降ることだと教えたら、降るのは光だけだと笑った。
 太陽が上から落ちてきて、月を跳ね飛ばして夜が終わった。城へと歩いていく途中、大きなブリキの塔があり、傍には深い井戸があった。塔はブリキの木の幹と土でできており、井戸は木の葉と土で固められていた。
 城は図書館にあるような古い本を何冊も積み上げたような姿をしていた。太陽より大きな丸い紙を丸めた円錐型の屋根と、どんなハサミも通さないような本の表紙でできた城壁、こっそりと中に入れば壁紙や床の紙はいい感じに古びていて、古書店に足を踏み入れた時のにおいがした。
 門番どころか人っ子一人いないので、誰もいないものと思ってぐんぐん奥へ進んでいたら、玉座にぽつんとカエルが座っていた。緑色の宝石のように透けた肌で、どのブリキの葉よりも丸くあでやかな姿だった。頭には金色のススキを巻いているが、服は着ていない。
 カエルの王様は視線ひとつ動かさず口も開くことなく、「この世界にかかった魔法を解くことができるか?」と私に聞いた。カエルの王様としては今の状態も気に入っているらしいのだが、魔法が解けない限り私はこの世界から出ることができないらしい。
 私とてこの世界から脱出する必要をあまり感じなかったが、湖畔の魔法というものに興味が湧いたので踵を返して、元来た道を湖の方へ一目散に駆け出した。
 湖は期待していたよりもはるかに小さく、プラスチックのコップを百個くらい敷き詰めただけのものだった。その傍でリスがペットボトルのコカコーラを、次から次へと並べられたコップへ注いでいた。休むことなく仕事を続けているのだがリスが一周を回り終わるころには、最初のコップのコーラは炭酸が弾けきって空になってしまっているのだ。リスは湖の外周のコップにコーラを注ぐだけでいっぱいいっぱいで、几帳面に敷き詰められたコップの中のほうの物たちはのどが乾ききっていて、口々に不平不満をいうのでうるさくてたまらなかった。
 その不平不満の大半が懸命に働いているリスに一斉に向けられていたので、いたたまれなくなって手伝いを申し出た。たくさんのコップが私を冷やかしたが、私がリスからサイダーを預かって乱暴にコップに注ぎ始めたら、コップは一瞬水を打ったように静かになったが、すぐにもとの喧騒を取り戻した。注いでも注いでもペットボトルのサイダーはなくならず、3分と立たない間にサイダーは蒸発した。
 「これじゃあイタチごっこだよ」と私がつぶやいたら、リスは必死に自分はイタチではなくリスだと弁解し始めたので、「そうだね、リスだね」と相槌を打って作業に戻った。注ぐのにも疲れて手を止めようとすれば、途端に囂々と非難を浴びることになる。いつまでも満たされることなどない。もういやだと思ったときに、最初に出会った男の子が通りかかり、「頭を使えばいいんだよ」と教えてくれた。頭を使うと言ったって一体どうすればと聞き返す前に、彼は月のかけらを集める仕事に戻ってしまった。
 しばらくしてリスが、「ずっと注ぎ続けることができれば、乾く前にすべてを満たせるのにね」と漏らしたので、私ははっとして「それだよ」とリスに笑いかけた。私はリスに耳打ちをして、コップを積み上げる作業に入った。
 リスと私の二手に分かれて、底を縦横5個ずつ25個分敷き詰めて、その上を16個、9個、4個と5段のピラミッドになるように積み上げる。積む間にずっとコップの口から不平不満がこぼれたが、あまりうるさいものは口を手でふさいで作業を続けた。
 私は要領がわかっていたのですぐにできたが、私の方が完成したときリスはまだ2段目の途中だった。打たれ弱いリスはコップの文句にすっかり疲弊し、ちょっとコーラを注いではまた積むなどロスが多い上に、背が低く手足が短いため作業が難しいようだった。仕方なく私も手伝って、ようやく2つのコップのシャンパンタワーを完成させた。積み上げることでコップの文句が合わさって、愚痴の大合唱となっていたが、私とリスが頂のコップにコーラとサイダーを注ぎ始めると少しずつ声は勢いを失い始めた。
 一番上のコップはすぐに満たされ、あふれ出た液体がコップを伝いその下のコップへと注がれる。下の段へ行くほどに時間はかかったが、次第に文句は小さくなっていき、最下層に炭酸水が届くころには泡の弾ける爽やかな音だけが辺りに響いた。
 「うまく行ったようだね」と丸くなった月を持った男の子が現れて、空に放り投げると太陽は上のほうへ弾き飛ばされて、世界はすっかり夜になった。「おかげさまで」と私は答えた。すぐに蒸発してしまうので手を休めることはできなかったが、泡の弾ける音には波の音のようにいつまで聞いても退屈しない心地よさがあった。
 ずっと注いでいるうちに、空にうっすらと雲が立ち込め始めた。やがて雲は空を覆いつくすほど広がって、ごろごろと稲光を出し始めた。押さえつけられたコップの不満が、空にたまっていくようだった。それでも注ぐのをやめないで、リスにも「ここで止めたら元の木阿弥だよ」と諭した。
 やがてぽたりと、ぽたりと雨が降り始めた。甘いあまい雨だった。男の子ははじめてのことに慌てふためき逃げ出してしまったが、リスは注ぐ手をやめなかった。そうこうするうちに目も開けていられないくらいの大雨になり、世界を飲み込むほどの大洪水となった。
 私とリスは炭酸の濁流に飲まれて、城のほうへと押し流されていった。紙の城はすっかり崩れ去ってしまって、何冊かの本だけがぷかぷかと浮かんでいた。その本に飛び乗って、筏のようにすることでリスは助かった。その背中を見届けて、私は炭酸の中に沈んでいった。深くふかく沈んで、炭酸の泡に輪郭をすべて溶かされて、完全にふやけきったところで目が覚めた。
 魔法が解けたのか、夢から覚めただけなのか、確かめるすべはないが、今でも目を閉じて耳を澄ませば、ブリキの森で聞いた炭酸の泡の音を思い出せるような気がするのだ。


散文(批評随筆小説等) ブリキの森と紙の古城とウルサい湖畔の魔法 Copyright 木屋 亞万 2013-04-01 00:15:49
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