秋葉原の幻
番田 


秋葉原は今日もぼんやりとした欲望が渦巻いていた。かつて起きたおぞましい事件のことも忘れて、僕は歩いていた。まるで夢を見ているかのように歩く人たち。ビルは空の色で空は夏の色をしている。僕もうしろめたさを抱えたまま、行く当てもない。中古のパソコン屋をのぞくと、かつての残骸のような商品たちが並んでいた。この街で変わらないのは、僕と表通りのドーナツ屋ぐらいのものだろう。メイドは昨日までいた娘が姿を消していた。そんなことを考えていた。現代詩フォーラムが頭に浮かぶ。それについて何を思うべきだろう。通りのゲームセンターが姿を消したら、この街は新しい方向へ姿を変えていくだろう。ファミカセの店が姿を消したように。いまどきゲームソフトを買う人なんてオタクのように思えた。ふたを開けてみればスマホ中心のライトユーザーが全てだったような気がする。松屋で食べるくらいなら冷凍食品かレトルトを開けて食べたい。その方がおいしかった。角を曲がれば中国人はもういない。あるものといえばシャッター通り。この街から新しい需要は生み出されない。エロとギャンブルが減少していけばそれは街の終わりを意味した。それは、外でしかできないことを提供することだから。何らかのクリエイティビティが必然なのである。苔の生えた塀が目についた。アダルト関係の店がどこまでも軒を連ねる。入ったことのないオーディオ屋は今では空のようだった。同人誌も売れないらしい。違法ソフト売り屋も見かけない。メディアは今後も底値といえる。価値があるものを見つけるのが難しいと思っていると、万世橋に夕暮れが浮かんだ。



散文(批評随筆小説等) 秋葉原の幻 Copyright 番田  2013-03-22 00:33:44
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