看取り(5)
吉岡ペペロ
息子は仮眠室で眠っている。
ぼくは杉下さんの容態をメモを録りながら聞いている。
今夜は杉下さんのおられる107号室がぼくの居場所だ。
居場所なんて言い方はおかしいのかも知れない。
ぼくの言葉は母国でも少数しか使わない言語だった。
母国にはたくさんの言語がある。日本のように関西弁とかそういうレベルの言葉の違いではない。まるっきり違うのだ。まるっきり違う言葉がたくさんあるのだ。
ぼくらのほんとうの母国は言語のなかにある。母国と他国の国境線なんてものは地形とはまったく関係なく引かれた直線だ。強国が引いたたんなる線だ。
ぼくは杉下さんのベッドのよこでパイプ椅子に腰掛けていた。
ぼくの言語でミトリとは居場所という意味だった。ぼくの日本での居場所がここだと思うといつも茫然とした。
この国で息子を育てたかった。
看取りをはじめてニ人の方の最期を看取った。
内戦や飢餓がいやでこの国に居着いていたのにこんなところがぼくの居場所だ。家族を裏切った罰かも知れない。
杉下さん、死なないで、
ぼくは彼女の顔のあたりを見つめていた。
鼻からでているチューブがすこし白く光っている。川のようだ。布団は荒れたなだらかな山。それを夜が満たしている。星はベッドまわりの計器の明かり。そんな幻を真剣に遊んだ。
杉下さんからたまに音がする。
きょうは、死なないで、
またとり憑かれたようになんどもこころで呟く。
ぼくは顔を振り口を閉じたまま溜息を吐く。
そしてまた真剣な遊びを繰り返す。
白くて細い川。細いのは空から見つめているから。なだらかな石ころと草の山。夜。夜はどこだ。どこだっけ。ここだ。ここが夜。
カーテンはオーロラ、星は計器の明かり、そうこころで呟きながら口をすぼめて杉下さんのほうに風を吹かせた。
カーテンに仕切られた病室にはほかにも入居者がいる。
それなのに世界にはぼくのこころと杉下さんに訪れる死しかないようだった。