二宮考
salco

府中市立白糸台小学校
校庭の一隅には珍しく
二宮金次郎の銅像があり
刻苦勉励・立身出世de官僚の道

総身黒ずんだ彼は
歩を運ぶ態勢で停まっておるので一見わかりづらいが
用心しいしい後ろ歩きをしている

彼はアポロ計画とM・ジャクソン以前のヒト
すると背負っているのは当然
薪ではない竹籠である
すると手にしているのは
書物ではなく芥ばさみ
その行動学は読書でなく勉学ではなく
拾集もしくは後始末
後退軌道で拾うのは
栗ではなく己が糞

退行二宮
彼にはメモワールしかない
脱糞・拾集の無限軌道
はや二十一世紀も二十五年
こんな事には昭和の内に気づくべきであった

 
横倒しになったロダンの「考える人」
彼は直腸検査を待つのだろうか。
それにつけてもミロのヴィーナス
世界で最も義手を要さぬ女。
その失われた両腕はヒト科を憂鬱にするが
それがある日地中から見つかるという想像にも
大概のヒト科は憂鬱になる。
美学の無い私は
盆を捧げ持つウエイトレスの直角の肘が浮かび
眉間の奥がへとへとに疲れる『ああ、嫌だこんな自分』。
あの像にはうんざりだ

あゝ観念、おゝ概念の雲垂れ込める
ヒト世界大気圧
その灰色ミストで終始霞んだ我が脳味噌
このクソめく重みから解放される時が生前に来るでせうかっ!



自由詩 二宮考 Copyright salco 2013-03-12 23:23:59
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