物語へ
草野春心

――はるな「物語たち」に寄せて



  つめたい夜がやってきて
  わたしの両手の爪を、一枚いちまい
  丁寧にはいでいった



  つめたい夜がやってきて
  物語のなかに鮮やかな朝陽がのぼる
  街を覆い隠していた霧が、一枚いちまい
  優しく脱がされてゆく
  テーブルについたあなたが
  美味しそうにトーストを齧る
  わたしが誰よりも愛した
  あなた



  つめたい夜がやってきて
  力尽きた一羽の鳥がぼしゃんと海に落ちた
  群れを飛ぶどの鳥もそれに気がつかなかった
  狂ったように羽をばたつかせ
  暗い水を悲しく泡立たせたあと、
  その鳥は静かに沈んでゆく



  つめたい夜がやってきて
  物語のなかに一羽の鳥が迷いこむ
  羽にはひどい傷を負い
  両の眼は光を失い
  もう、
  飛ぶことはできない
  その鳥は海岸に立ちじっと空を見つめている



  わたしは話しかける
  部屋の窓はかすかに開いていて
  夜風が入りこんでくるけれど
  寒くはない
  あなたと出会ったとき
  この胸に消えることのない炎が宿った



  わたしが誰よりも愛したあなた
  わたしは語りかける
  怖くはない
  まだ朝を迎えたばかりの
  うすぐらい物語へ




自由詩 物語へ Copyright 草野春心 2013-03-12 21:20:35
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