家のこと
はるな


季節はどのこもきまぐれだから、ちょっと近づいてはため息を落として見えなくなってしまう。噴水の見えるベンチへ腰かけて見れば、滑稽な銅像のうえをすべっていく水たちのなめらかなさまよ。ほんとうはわたしはもっと眠っていたい。

二月の終りに実家へかえると、和室に雛飾りが出ていた。娘三人が家を出て、両親だけになっても母は雛飾りを出す。
ぼんぼりは好きだった。なぜだかはわからないけれど、雛飾りをみるとお葬式を思い出す。おそらく母方の祖父母の田舎で、だだ広い畳敷きのうえで、まだ毬のようにちいさかった私と姉と(妹は生まれていなかったと思う)、いとこたち。行事にまつわる思い出は、すべて母に寄っている。父との思い出で思い出すのはいつもわたしと父とふたりで話ているところだ。
お雛さまは好きでも嫌いでもなかった。おそろしいと思ったことはない。甘酒はむかしから苦手で、雛あられはあれば食べるがとくべつにおいしいものだとも思わない。すこしほこりをかぶった箱を開け、がさがさしたうす紙をそうっとはずしてお雛さまを出す母の手つきはかなしかった。たぶんうらやましかったのだろう。

母の裁縫箱(それはふっくらした刺繍のされた布でできていて、開けると二段構えになっており、ふたに裏側には様々なはさみを収納する用のおさえがついていた)のうち側には、雛段のまえに座ったわたしたち姉妹のちいさな写真が貼ってあった。母の手で同じように切りそろえられた三つのおかっぱ頭。
あの写真は母が撮ったのだろうか。父が撮ったのだろうか。

このあいだ、友人が出産したというのでおみまいに行った。ちょうどその一週間まえにあったばかりだったので、新生児室に息をしているいきものが、まさか。という、途方もない心持ち。わたしたちもかつて生まれたものだった。いつのまにか死にゆくものになっている。
ちょうど誕生日をむかえたところで、感傷的になり、父へ「あと二百年生きて」と懇願したところのわたしは、生きて二日目という生き物たちとガラスごしに向き合って(あちらは目がまだ見えていないだろう)、まさか。と、やはり、途方に暮れる。ほんとうに途方に暮れてしまった。父も母もああして生まれてきて、わたしを作りやがった。それでいて、先に死んでしまうのは勝手だなあ。それにしても、わたしの肌は、この二日目のひとたちと比べればなんとも中途半端なふるびかたをして、父や母のようにまだ体になじんでいるというかんじがしない。ただしそれは年齢的なものではたぶんなくて、なぜなら夫の体はいつみてもぴったりと中身と寄り添っているから。夫のからだはどこをとっても夫以外のなにものでもないし、それは単純に素晴らしいことだ。その気持ちで自分の皮膚を見下ろせばみじめ。

愛はいつもあるべきところにあるようにあるのに、わたしにはときどきわからない。たしかめようとして、たしかめ方がわかるはずもない。わたしはそれがあるべきところにあるようにあるのだということを知っている。知っていながら、わからない。だから自分が悪いのだ、と思うことでしか逃げられない。それは正しいやり方ではないにしろ、だからといってもっと良い策があるとも思えない。わたしはこわいのだ。あるべきところにあるようにあるはずの愛が、それがわたしのものではないと思うのがこわい。わたしはわたしの思っているようにだけ、物事を思いたいのだ。それは恥ずべき幼さなので、箱へしまって家へおいているけれど、だれでも、みんな、家へは帰らなければならない。


散文(批評随筆小説等) 家のこと Copyright はるな 2013-03-07 23:57:44
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