中川達矢

おりの外には、どんな世界がひろがっているだろうか。

ぼくの住む街は、毎夜毎夜、サイレンがなりひびく。どちらにしても、おりの中にいれられる人がいて、おりの中にいれる人がいる。

おなかがいたい。サイレンがなりひびいている今、おなかがいたい。サイレンはおなかのいたみをなおさない。ぼくは生むしかない。生める体を持ってもいないのに、生むことを要されるぼくは、いっそ、おりの中に入ろうか。

おりの中はまだいい。ショーウインドウやショーケース、水槽は罪だ。罪を包む箱が罪だなんて、残酷だ。ぼくは、募金をする。けれど、罪はお金の使い方を知らない。

おなかはまだいたい。生めるものは生んだけれど、まだいたい。他に対処の仕方などあるだろうか。いくら、インターネットで 検索しようと人とつながろうと、おなかのいたみは、おなかのいたみのままだ。お金は、おなかのいたみをなおさない。

ガラスは、毎夜毎夜、その姿を変える。さっきまで見せていた向こうの世界を、こちらの世界にしてしまう。罪だ。夜のガラスは罪人だ。お前なんかに、募金をしてやるものか。

サイレンは、その音を低くして消えていった。けれど、その姿はガラスのせいで見えない。おなかのいたみは、こちらの世界に残されたまま。こいつをおりの中へ、連れて行ってはくれないのか。

知りすぎた、おりの中の世界。サイレンは希望だった。希望の音だった。けれど、罪を運んではくれなかった。

ぼくの住む街で、ぼくはおなかの中に罪を抱えることしかできなかった。


自由詩Copyright 中川達矢 2013-02-28 23:20:20
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