僕が思う現代詩と合唱の関係について(8)
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僕が思う現代詩と合唱の関係について(8)
(7)で述べたように、僕の部活ではこのように曲を作っていく。他の合唱団はどのような
取り組みで曲を作っていくのかは全然知らないのだが、家の部活ではこのようにして現代
詩とある意味詩と格闘しながら曲を作っていく。
この曲作りの中で(何度も言うが)僕達は現代詩と向き合わなければならない状況におかさ
れるが、実はこの「置かされる」とい部分に1つ重大な「現代詩と合唱の関係」があると
思うのだ。
それは「合唱には現代詩に対する関心度を無理矢理向上させる働きがある」ということで
ある。
先日、僕は養老孟司著の「バカの壁」をサラット一読したのだが、その著書の中で氏は
「関心とは良い方面でも悪い方面でも適度に持っていればいい。だが、関心を片方だけ極
端に持つことと関心がないことはあまり良くない」みたいなことを言っていた。(うろ覚
えなので、違かったらすいません…)
僕が思うに、多分現代詩を嫌う人々の多くは「現代詩に対して無関心」なのではないだろ
うか?多分、現代詩=難解というイメージも、自分が現代詩に無関心である理由を単純に
答えるための言い訳に過ぎないのではないだろうか。
氏はバカの壁の中で「関心が多少でもあけば『いやよいやよも好きの内』という言葉か指
し示すように、悪い印象でもふとしたきっかけで良い印象に関心が揺れ動くことがある
が、関心がない、というのは良い方にも悪い方にも動かずどうにもならない」ということ
を述べていた。
多分、僕が友達に現代詩を見せたときに見せた反応がああだったのも結局の所は「現代詩
に無関心だったから」という言葉で片付けられると思うのだ。
自分が今まで真剣に向き合ったことのないジャンルのモノをいきなり眼前に突き出して
「読め」といっても読みたくなるはずがない。なぜなら「関心がない」からだ。
それにもし、僕の薦めで少しだけ関心が芽生えて、現代詩をちらっとみたとしても、いき
なり(こういっちゃあなんですが)提示された日本の最先端の文学を鑑賞方法も分からぬま
ま理解できる訳がない。
小説ならば、全てを読み終えるのに時間が掛かるから読み始めは鑑賞の仕方が分からなく
ても、読んでいる間に鑑賞の仕方を掴める可能性は十分にあるが、一読に十分も掛からな
い現代詩ではぱっと見でその詩をいきなり鑑賞できる筈がない。結果「難しくて俺にはわ
からない」という答えが読み始めから十分足らずで返ってきて「はいおしまい」と、なっ
てしまう。
ところが合唱では、1つの詩を鑑賞する時間はたっぷりあるし、しかもその詩を対峙しな
ければならない(いや格闘しなければならないの方があっているか)状況に置かされるから
「はいおしまい」で鑑賞が済ますことができない。どんなに関心が薄い現代詩でも、向き
合わなければ曲を本当に歌いこなし、観客にその曲の思いを伝えることなど到底無理だか
らだ。
人間、同じ檻の中に二人きり突っ込まれて一週間くらい経てば、どんなに嫌いな奴であろ
うと一言くらい話したり、嫌いや奴だったけれど、よくよく話してみれば良い奴だったこ
とに気付くかもしれないし、いつしか友達になっちゃったりしちゃうように、合唱に取り
組めば取り組む程、テキストとなる現代詩との「付き合い方」が分かってくるのである。
その付き合い方が正しくない可能性だって勿論ある。
僕らは現代詩に対して「歌う側独自の解釈」という形で応戦するけれども、現代詩側から
見たら「その鑑賞方法は間違っている」と言われるかもしれない。
だが、合唱を通して詩を鑑賞することは、少しずつではあるが現代詩に対する「関心」の
芽が育つことにつながっていることは他ならない事実であろう。
なぜなら、僕が実際そうだからである。
僕が今この現代詩フォーラムにお世話になっているのも、一重に「合唱」という存在が
あったからであるし、「国語便覧がみるのが楽しくなった」だとか「宮沢賢治の詩集を
買った」「合唱を始めたお陰で荻原朔太郎を知った」「その曲を歌う為に詩の作家の関連
書籍を買った」「好きな合唱曲の詩の一節がツイートされたのを見て、急にその曲が歌い
たくなった」なんて話は僕の近辺だけではなく、他校の合唱部員の方もざらに言っている
ことだ。
再度言うが、確かに僕達は現代詩に対して偏見を持っている。だが、合唱を通してであれ
ばその偏見を少しでもとることができると僕は思っている。今の人たちが現代詩を嫌うの
は、ちゃんと現代詩と向き合う「機会」と「時間」ず圧倒的に不足しているからだ。だが
合唱をすれば少なくとも二つの問題点を解消してくれると思う。
この過程を経ても現代詩を嫌う人はしようがないと思うが、その一方で現代詩の魅力に反
応する人達が確かに存在するのだから。
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ちょっと乱文になってしまいましたが今回はここまで。