「少女の指で書かれたカルテ」
ベンジャミン
どこからどこまでを少女と呼ぶのか
それは自分の幼年をさかのぼる程度でしか知らない
だとしてもだ
あの病院で出会ったのはたしかに少女だった
「会った」というより「会ってしまった」
そう振り返るほうが正しいかもしれない
少女にとって僕との出会いはきっと
交通事故にでもあってしまったような災難だった
※
待合室の白い壁をじっと見つめていると
不思議と中が透けて見そうな気がする
実際はただただ白い壁に
自分が吸い込まれそうな錯覚なのだが
そんなとき
僕は不意にぽんぽんと肩を叩かれて
何の疑いもなく振り返ろうとした
その僕の右頬に
白い指がつんとあたった
見上げるとひとりの少女がくすくす笑っていて
ああ これは良くある子供のいたずらってやつだ
そう僕は理解して終わるはずだった
※
実際に良くあることだった
少女でなくとも少年であってもいいことだ
僕にとっては何度目かの
ちょっとしたいたずらにひっかかっちまった
そんなくらいの出来事で
ただ
その少女のお母さんらしき人が
僕に少しばかり謝罪をしてから
そりゃひどく少女を叱ったことをのぞけば
※
少女は自分がどうしてそんなにも叱られているのか
わかっていないふうな不安そうな申し訳なさそうな
そうして白くうつむいたまま
そうだ百合の花のような表情だった
少女をひどく叱ったお母さんらしき人は
実際ひどく正しかった
なぜなら「見知らぬ男性にうかつに近づいた」
そこにまったくの警戒心がないことに対して
※
少女の指の感触が右頬に残ったまま
お母さんらしき人に手を引かれていく
少女が僕をちらっと見たから
僕はくしゃくしゃの笑顔をつくって
小さく手を振った
それが正しいのかどうかわからないけど
実際それくらいしか僕にはできなかった
※
しばらくして僕は
あの少女のカルテにはなんて書かれているんだろうと
それは少し考えればわかることなのだが
※
そんなことよりも
ひどく正しいことを目の前にして
それがどうにも悲しくなった僕は
さっきの少女の指先の感触が残った右頬を
自分の指先でつんとしながら
あの少女が
もしも自分の指先でカルテを書いたなら
それはきっと真っ白な紙一面に
ひとつの文字も書かれていないだろうと思った