大人
草野春心



  無数の傷のついたフライパンで
  三枚のベーコンを焼いている
  その男はただの大人だった
  円周率を小数点以下八桁まで記憶し
  足指のひとつに水虫をわずらう



  その男はただの大人だった
  薄暗い朝に
  肩にふけの落ちたスーツを纏って
  背後にはニュースの斑色の音声を浴び



  男の身体のいたるところで
  ぼろい猫がゆっくり歩いている
  女たちが伸びすぎた爪をきっている
  すべての臓器は硬く丸めた雑巾のように
  すえた臭いのする水をぽたぽた滴らせている
  



  その男はノブのとれた扉に似ていた
  その男は街にひそむ陰湿さに似ていた
  ベーコンの一枚がうまく焼け
  あとの二枚は少し焦がしてしまう
  薄暗い朝は夕暮れよりもはるかに寂しい
  男の細長い身体に、それもまた詰めこまれてゆく




自由詩 大人 Copyright 草野春心 2013-02-25 23:58:56
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