ドクダミ五十号

排泄物の孤独は常に掃き溜めに流され

何方かを呪うを躊躇いながら

深く息を潜めて


呪うべきは己だとつぶやくのだ

きらびやかなる星も

明るき月も

全てが汚濁の黄褐色の上にあって

最早 まなこさえ 触れること 能わず

思えば常に

この世の掃き溜めの底に捨てられ

藻掻きのゆうらゆら

海流が許さぬ

日光は当たらぬ

雰囲気とは「周囲」を云う


当たり前を当たり前とせず

ただの身の捩りは

なされたりはしたのだが


行いを清く

精神は美しく



罰は雰囲気に拡散せられ

行き場は奪われたのだろうか


雰囲気を作るのが虚栄ならば

例えば掃き溜めの底にあるといわれる

熱水の噴出する

心の沸きなる所で

増殖し 分裂し 集い 固まり

一つの無造作的形状を成すか

虚栄に捧げるモニュメントと賭して


君は恐らく

不快になるであろう

打ち壊せば済むが

それでは済まないのだよ

ベクトルの交わる事が無い

「絶対的並行」がある事が

「許せない」ないですか?


つまらない妄想だよ

俺は自身が「掃き溜めに居る」と

あからさまに宣言しているのだから


申し上げておこう

掃き溜めに何の価値も無い様に

雰囲気にも何の価値も無い

死んだ女神の天秤の

皿に乗せられた価値観でしか無い

泡沫の夢の軽重を測ってどうする


己が掃き溜めより優れ

忌まわしきから脱し

清らかであるとするならば尚の事だ

刃を研ぐ者は

己の指も研ぐ

痛みに耐えつつ

などと古の賢者が言ったか言わぬか

それすらも忘却の底に沈んでいて

貴君の心のまなこに触れはしないだろう


虚構の天秤を操る人か貴君は?

触れたと云うなら問う

「高いは低い・低いは高い 定常の成すところの
正義は如何に。 また正義とは定常なるか」




何も自身を自身で弁護はしない

それが忌まわしいと

「今」言わしいと



筆を支える指が

己の侭に動かぬからと

鬱憤の果てに書いたのでは無いと

正直に述べておきます


自由詩Copyright ドクダミ五十号 2013-02-18 17:01:01
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