僕が思う現代詩と合唱の関係について(6)
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僕が思う現代詩と合唱の関係について(6)
さあ、いよいよである。
僕は(1)〜(5)までの間合唱と現代詩の僕がしる限りでの現状を書いてきた。その中では、
二者が抱える「偏見」という人間が人間としている限り必ずもっといる眼差しに苦しめら
れているということも書いてきた。
だが、そこに僕が書いたことはいくら難しくとも必ず払拭できるものだと考えている。
なぜなら、合唱だって昔は男の方が実は人気だったことや、詩が昔は大衆に読まれていた
ことも、詩集は買われるものだったということを僕は知っているからだ。(その経緯に関
してもこれ以降で述べておくので今は知っているとだけ)
そう、今起きている現象はなにしも昔からずっとだった訳じゃないのだ。昔そうでなかっ
たのだから、今そうじゃないことにするくらい出来ると僕は思うのである。
では、次にその打開する方法とはなんぞや?
ということになると思うが、実はそれこそ今まで一番言いたかったことである。
そのためにわざわざ一番書きたいことをずっと抑え下準備をしてきたのだから。
お答えしよう。
合唱と現代詩の結ぶ関係そのものである。
そこには全ての偏見を覆す秘められた力が備わっている。