僕が思う現代詩と合唱の関係について(5)
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僕が思う現代詩と合唱の関係について(5)
なぜ現代詩はその偏見を振り払うことが出来ないのか。
その理由を、僕はこう考えている。
一「学校教育の中で「詩」はゾンザイに扱われている」
まず、学校には読書週間はあっても詩を読む週間は無い。また後ろの棚に詩集が置かれて
いるのを僕は一度も見たことが無い。で、たまにある詩の授業もやっつけみたいに二三個
纏めて強引に詩を解釈するだけである。
(しかも、僕が小中問わず色々な先生に話を聞いたら「詩」の授業だけは難しいという話
がいくつか飛び出してきたから驚き)
高校に至っては詩の授業などカリキュラムに一切含まれていない。
とまあ挙げれば切がないが、用は学校教育において実際「詩」の扱いはちと酷い気がする
のである。詩も立派な1つの文学なのに、しかも、詩に出会う機会など、義務教育の間く
らいしかないというのに…
二「「詩」の魅力を知らない人に「詩」の魅力を伝えることが難しい」
ドラマ化した小説を見て原作本を買う人がいるように、「め組の大吾」がヒットした年に
消防士を志願した人が多いように、「ヒカルの碁」がヒットした結果今若い世代からプロ
が続々誕生しているように、音楽もそうだしスポーツもそうだが、大概世の中の物は他の
メディアを通して魅力を知るきっかけがあるのに対して「詩」にはその機会が殆どないの
である。なぜなら詩は他メディアを媒体にして伝えることが非常に難しいからだ。もっと
簡単に言えば「詩」を少年漫画やドラマ化映画化することが難しいということだ。(もし
かしたら、過去誰かがそんなことをやったかも知れないけれど)
以上二点が、僕の考える現代詩が何故偏見から脱出できないのか、の理由だ。