僕が思う現代詩と合唱の関係について(4)
赤青黄

僕が思う現代詩と合唱の関係について(4)

「現代詩は存続の危機にある」

これは様々な詩投稿サイトや詩誌でここ十数年くらい前から騒がれていることだ。

例えば文学極道のコラムやその理念を見れば簡単に察しが尽くし、ここ現代詩フォーラム
に投稿された現代詩に対する評論などを見ればますます明らかであるし、フォーラムで偶
に開催されている批評際などのアーカイブスを見ればああなるほど、である。

無論ネット上でなくとも本屋に行けば「詩」に対する人々の需要の低さが一目瞭然にして
分かるだろう。

例えば、僕の通う高校の近くにある地方書店の「本店」の状況を例として挙げてみよう。

まず店内にある50近くある本棚の内、詩のコーナーはたったの1つの棚の2段分だけしか
ない。しかもそのラインラップは萩原朔太郎氏「月に吠える」他谷川俊太郎氏、宮沢賢治
氏の幾つかの詩集そして和合亮一氏の震災関連の詩集…だけ、だ。

最新のハードカバーの推理小説がドカドカと山積みされている中で、たったのこれだけで
ある。しかも暫く入荷されていないようで(悪い言い方であるが)残念ながら古い詩集ばか
りである。

無論雑誌コーナーには詩誌などどこにも置いておらず(「ユリイカ」はなんとか一冊おい
てあったが…)ただ雑然と週刊雑誌や文芸春秋や小説スバルなどが置いてあるだけだ。

これは、この本屋に限ったことではないだろう。

三省堂の本店だとかジュンク堂など、本の蔵書がかなり豊富な本屋、特定のジャンルに特
化した専門店などは別として、大衆向けの本屋では詩に関する書籍が殆どないのである。


本を扱う「書店」にすらおいていないのだから、これは確かに「現代詩の危機」であると
言わざるを得ないだろう。


なぜ、現代詩はこのような状態におかれているのだろうか。

それは現代詩をそうさせる「理由」を現代詩が解決出来ずにずるずると引っ張っているか
らである。



その理由は様々あるだろうが、中でも「現代詩=難解のイメージという偏見」が主な原因
ではないかと僕は考えている。いや、難解というよりは「つまらない」「読んでも面白く
ない」の方が的を得ているかもしれないが…

なぜなら、ここに一々例を列挙していったら切がないので書きはしないが、この文章を書
く前に僕は様々な人から直接詩についてどう思っているかについてその人たちとの会話の
中でさりげなく聞いてみたのだが、その中には確かに「現代詩=難解」というイメージが
確かに存在していたからである。(またこの章の冒頭に書いたコラムや投稿などを見も、
そのような意見が居つくもかかれていることも1つの参考になるであろう。)

では、なぜ現代詩は「現代詩=難解のイメージという偏見」を払拭できないのであろう
か。

それは合唱同様、その一度ついた偏見を振り払うことが中々出来ないからである。




これ以上書くと当分区切り付つかなさそうなので
今回はここまで


散文(批評随筆小説等) 僕が思う現代詩と合唱の関係について(4) Copyright 赤青黄 2013-02-14 05:25:30
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