ドクダミ五十号

どどんがどん タタントタン ガタントトン

レールの継ぎ目が歌うよ

子守唄かもしれない

眠気を誘うのだもの

夜明けに到着を告げる車掌のアナウンス

知らない土地の白銀の風景が

木枠の窓に絵画の様に嵌っていたよ

冷凍みかんはとっくにとけていて

遠くに来たんだなって

ラシャに似た布張りの席を撫でてみる

特に意味は無い

窓は開ける為に存在している

ラッチは固く左右を同時に操作して

なお、かつ’上方に力を込める必要があった

幼い者には困難で不親切だが

やってのけた

冷気が即ちレールの歌を朝焼の歌へと変化させた

大人は怒る

寒いのが嫌いだから

母親に手を引かれ

降り立った駅にはもちろんコンコースは無い

閑散とした待合にて

バスを待つ

木製のベンチは多数の尻によってツヤツヤとしてた

幼い私にもここに来た目的がわかってはいた

旅の終わりに付き合う為だと

桶にじいちゃんは膝を折って入っている

竿はしっかりと固定され

担ぐ者は肩に重みを覚えるだろう

野辺送りは一列で

幟を支える手は寒さに抗う

じいちゃんは幸せ者だ

旅の終わりにこんなにも沢山の人達が送るのだから

私は未だ旅の途中なのだと

幼いながらも感じたのは

つちまんじゅうと卒塔婆とお線香のビジョンからだった

旅する者は

旅の終わりを知っている

それが如何に寂しいかを

それでも続ける

永遠と決別する為に

旅の果てを思いながら

希薄な現実に戻るのも旅の一部だろう

「さようなら」の言葉も無いままに

未だ溶けず路傍にうずくまって居る

汚れてしまった雪を

散歩の途中に

杖で突きながら

遠い過去の旅と現在の旅を結びつける

トトンガトン ガタンゴトン

常に聞こえて煩わしい耳鳴りとは別の

律動が海馬の底から聞こえる

そして今更ながら

時刻表の無い旅の途中にわたくしはあるのだと

手帳に記すのだった


自由詩Copyright ドクダミ五十号 2013-02-04 03:24:08
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