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はるな

0/0 あの日、なめらかな布をいくつもくぐって、白いもののなかで、わたしの体はぴったりと「幸福のかたち」のなかへおさめられていた。幸福、ではなくて、幸福のかたちのなかへ。微笑んだり、笑ったりするすべてに、誰も、わたし自身も、触れられなかった。それはかたちのなかへおさめられてしまっていたから。
思い出せることは、白いお皿、13センチヒールのエナメル・パンプス、禿げたマニキュア、かちかちにかためられた巻き毛、笑い顔たち。
いったい何が違うんだろう。制服に、決められたローファーを履いて、木の椅子へすわらされていた中学生のころと、それはいったい何が違うっていうんだろう。

0/31 何度めかのこの日に、わたしは休みを取って、部屋のなかにいた。晴れていたようにもおもうし、雨が降っていたようにもおもう。寒くはなかったはずだ。部屋のなかにいて、床へ座っていた。夫とふたりで決めたカーテンはベージュに茶色のレース模様がはいっている。思い出せる限りのことを思い出したかった。くっきりと、そこにあるかのように描きだそうとした。お湯の沸くおと、下校する小学生たち、まだ耳慣れない町内放送、遠くのサイレン。磨かれた床、壁紙は白く、テレビもパソコンもつけず、エアコンも空気清浄器もはたらかず、ただお湯の沸くおと。生まれてから24年間、死に損ねてから8年間、平成24年、西暦だと2012年、知っていることの、思い出せる限りのことを思い出そうとしていた。そして、それは失敗した。

0/01 夫にキャメル色のコートを買ってもらった。フェイクムートンでできていて、裏地がすべてボアになっていて軽くて暖かい。帰って着せて見せたときには、わたしの髪をすこし整えてから一歩さがり、全身をするりとみわたして、いいじゃないか、と言う。管理されている、と思うし、少しずつ、支配がひろがっている、と感じる。問題なのは、そのこと自体ではなくて、そういうことのすべてを是としている自分自身だ。
0/00 晴天だった。空は1000人の天使たちが磨き上げたみたいにひかって、そこらじゅうに真っ白けな光が落ちている。前の日に掃除も洗濯もすべて済ませてしまって、洗濯ものをたたんでいた。夫の下着や靴したは、取り込んだすぐあとにでも夫のにおいがする。獣のようで、それでいてこころよい匂い。あたたかく、かわいた夫の抜け殻たち。なんども水をくぐって少し色あせたシャツ。窓ガラスは透明だったので光をよくはじいた。昼間の部屋はそとが晴れていればその分だけ薄暗く、はっきりと内と外がわかる。撫でたかたちに色の変わる、毛足のながいカーペット。もうおしまいだ、ということがよく理解できた。ここでおしまいだ、ということ。何も望んでいなくて、でも、足りない。それは欠落でも不在でもなく、まして喪失でもなく、それは、それは最初から最後までただ無い、という、それだけの存在だ。もうおしまいだ、と、はっきりわかった。

夜が来るのを恐れて、でも、夜がくることを拒めない。

ハンカチ、靴下、ワイシャツ、タオル
レース模様のカーテン、カーペット、窓ガラス、カフェテーブル。床、照明、本棚の本たち、の隙間へ降り積もるこまかいほこり、ほこりを取るためのタオルハンカチ、トロフィー、口紅、マニキュア、ピアス、ネックレス、指輪、記念写真、観葉植物、レースの敷物、クッション、ソファー、ワイングラス、調味料入れ、冷蔵庫、野菜袋、買い置きの炭酸水・五本、栓抜き、ナイフ、フォーク、スプーン(柄が木でできている)、重たい鍋、ガスコンロ、ガス給湯器(はここからは見えない)、電車の音(線路は寝室のすぐ向こうにある)、扉、扉を開け閉めする、窓、窓ガラス、カーペット、レース模様のカーテン。タオル、ワイシャツ、靴下、そしてハンカチ。
はっきりわかった。すべては、すべてで、わたしはもう介入できないと思った。こんなにも存在しているのに。存在しているのに。存在しているのに。そして、世界は、ここにあるのに。ずっと、前から、そもそものはじめからここにあったのに。知らなかったことを知っても、もう、だめだ。わたしはこんなにも存在していたのに、わからなかった。泣きながら、息を吸い込んで、この世は終わらないだろう、と思った。すべては終わらないだろう。やがて時間も消滅するだろう、けれどもそのとき、すべては終わらないだろう。あるものは在り続け、無いものは、無いものとして、そこへその通りに存在する。すべてがこんなにいたいたしく、切実に存在しているということが、皮膚じゅうから理解でき、もういられない、とわかった。思うのではなく、感じるのでもなく、すごくはっきりとそれがわかった。




散文(批評随筆小説等) 0/000 Copyright はるな 2013-02-02 16:01:11
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