まるしかく人間論
ただのみきや
四角い団地が建ち並ぶ
その中には四角いドアが並んでいて
ドアの向こうには四角い部屋が連なっているのだが
暮らしているのは どこか
丸みを帯びた人間だ
四角い暮らしに疲れてくると
人は壁の外へと思いを馳せる
かもめたちが競う岬で風に飛ばされそうになりながら
地球の円さを感じてみたり
深緑の世界で切株に腰をかけ
まるい木洩れ日たちと戯れてみたり
儘ならないからこそ 尚さらに
だがどういう訳だか
人は四角四面のカタチを作らずにはいられない
(資格が無ければ失格だ! )
これこそ理想形と言わんばかりに
自分ギュウギュウ押し込める
格式張ったり気張ったり
バッタリ倒れてしまうほど
やがて窮屈さに堪えかねて
(おや? 心が便秘ですねぇ)
豆が莢から弾けるように
跳ねては丸く猫になり
昇って円く月になり
飛んでは跳ねて転がって
失くしてしまったボールのように
知らない自由を知りたくて
死ねない自分に死にたくて
地の球の筈があちらこちらに角が立ち
いのちはパチンコ玉のように回収されて逝く
画面や紙面がその数を告げる
(覆水盆に返らず か)
すると今日も小動物のように忙しなく
ブルーライトの小窓から覗くのだ
迷えるアダムとエバの子孫たち
キャラメルのおまけさながらの
箱入り娘と息子たち
《まるしかく人間論:2013年2月》