言葉がまだじゅうぶんでなかったころ
かかり

 

言葉がまだじゅうぶんでなかったころ

わたしたちはそれを呼ばなかった

知ってはいたけれど

おはようも こんにちはも

いただきます

もなかった



雨がふり続くと

川があふれ

たいてい誰かが流されていった

流されていったものに名まえはなく

葬式もなかったが

そばにいたものたちは泣いた

そのような終わりはありきたりだったけれど

それは時折り

「ぜんぶのおわり」を仄めかすことがあったから

わたしたちはおそれた

だからこそ“終わりのこと”を口に出してははいけなかった

そのかわり

“終わりのこと”をできるかぎり遠ざけるため

いつのころからか

ありとあらゆるものごとに

名まえをつけていくことになった

名まえのついたものを

手にとると不思議な気持ちになった

誰のものでもなかった道具、食料、ついには場所までも

自分のもののように感じられた

そして名まえのついたあらゆるものを

わたしたちはいつも

手に入れたいと考えるようになった

手に入れるため

しばしば

あらそいを起こし

怒りをえいえんに続くかのような憎しみに変えた

“終わりのこと”を遠ざけなくてはならなかったから

わたしたちは

そこここに境界をつくり

(この世界の果てまで)名まえをつぎつぎに与え

なにもかもを自分たち(あるいはだれか)のものにしてしまった

それでも

おそれは消えなかった

遠ざからなかった

それは次第にふくれあがり わたしたちを覆い

苦しめた

だからわたしたちは苦しみのたび

なにかが足りないだろうと

さまざまな「なにか」を食べてみた

あれは違う

これも違う

きっとそれだろう

いや違っていた

そうやって繰り返すうち少しずつ

核心から遠ざかっていった

“終わりのこと”がうすくなる気配は一向になく

むしろそれは刻々とわたしたちを蝕んでいった



言葉がまだじゅうぶんでなかったころ

わたしたちはそれを呼ばなかった

そばにいる仲間が足を怪我したときに感じる

おくそこの疼き

腕のなかで眠る弱きものを守る気持ち

ヤギでも牛でも猫でもいい

虫たちでもいい

なにものかを

助けたいときに役立つもの

許すときに役立つもの

育むことに役立つもの

おそれを癒してくれるもの

あらゆる境界が必要でなくなるもの

人と人が殺し合わなくてすむもの

足りなくて食べつづけるのが止まるもの

それは

流されていった誰かのことで泣くときに

すうっ

と通り過ぎていく光のようなひとすじ

“終わりのことと”と くみ合わさり

いつまでも置かれているもの


 


自由詩 言葉がまだじゅうぶんでなかったころ Copyright かかり 2013-01-30 00:09:07
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