自分が嫌いになってしまったら。
元親 ミッド

自分が、好きでやっていることなのに

時々、どうしてだろう

無性に嫌になって、嫌になって

くだらない、つまらないもんだと

唾棄してしまう。



自分が、好きでやっているのなら

もっと、ちゃんと自信をもって

胸を張ってりゃいいものをね

くだらない、つまらないもんだと

蔑んでしまう。



どうしてだろう、と考える。



己は、誰かに評価して欲しいのか?

世間で言うところの肩書ってのが皆無だから

自分の位置、基準のようなものが

まったく見えてこないのか?

それで不安になってしまって

己自身に猜疑心が芽生えてしまうのか?



それもまたちょっと違う。

たぶん、恐らくだけど

それは、己が、まだ中途半端だからじゃないだろうか。

いまだに、己なりに納得のいく結果というか

目指している場所に辿り着けていないから

そうして、やりきっているという充実感が乏しいから

自分に自信が持てないのではないか。



だとしたら、それって

“まだまだこれから”ってことじゃない。

まだまだこの先に、やれることがあるってことじゃない。

未来があるってことなんだよね。



そう考えてみると

そんな時期にこそ、もっともっとがんばってみて

自分が、好きでやっている事を

もっともっと、掘り下げるべきなんだろうなって思う。

その為にも、深く考えすぎない方がいいこともある。



煮詰まってしまえば

袋小路にはまってしまっては

壁にぶちあたってしまえば



時には、意外なことをやってみて

発想の転換を図るのもいいじゃない。

押してダメなら引いてみな、ともいうよ。



己が嫌いで、どうしょうもなくなってしまったら

その時は、無理に好きにならなくてもいい。

むしろ、思い切って

いっそとことん嫌いになってみたら?



そんでもって

自分の悪口考えてみれば

自分と向き合うこともできるだろうから

自分の欠点も見えてくるだろうし

逆に、いいところも見えてくるかもしれない。

何かしらのヒントも見つかるかもね?



人が、何かを好きになる時には

自分でも気がついていない

そんな理由がどこかにあるんだろうけど、

それがわからなくたって

人は、何かを好きになってしまうもんだから。

だから、わざわざ自分を好きにならなくっても

知らず知らずのうちに

なんらかの理由がどこかにできているかもしれない。

それでいいんじゃない?



無理やり、自分を好きにならなくたって

自分が好きなことをやっていれば

いつかは、自分を好きになれるさ。



・・・・・たぶんね(笑)。


自由詩 自分が嫌いになってしまったら。 Copyright 元親 ミッド 2013-01-28 23:35:36
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