握手、並びに四苦八苦の面影と夜風
赤青黄
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部屋のカーテンと窓を真夜中に開けて夜風を、冷たい夜風を、それはそれは冷たい夜風を
引き入れることが、私の夜中の、十二時の、日課であった
一日の始まりを朝ではなく夜としたことは、まさしく人間における史上最大の、歴史にお
ける、進化における、過ちであることを、多くの人類は知らない
いや、知ることをしようとしない、それを知ること、知ったところで、どうにかなるわけ
ではないことを人類は、生まれたときから、この予に生を受けた時から、既に知っている
からだ
新しいことを知ることよりも、既に知っている知らないことにする方が、特段難しくなる
ように、覚えていることを覚えていなかったことにするのは、物事を覚えることよりも、
別段難しく、とりわけ無理な、それこそ土台無理な話、だ
とすれば、慣習及びその家に代々受け継がれて来た血、慣わし、宗教、家庭の味、家庭の
趣味、父から子に求められるきゃりあと実績、血、血統、
ああ
なぜ一日が十二時から始まるのだろうか、
なぜ朝は日の出が始まってから朝になるのだろうか
なぜ日本人の主食は米でありパンでないのか
なぜタコはたこであり蛸であり凧であるのか
なせ母親はおかあさんで父は乳でないのか
ああ、は嗚呼でアーはうめき。
人々の間を感染するモノローグは微かな微動を来たし、ゆくゆくはそれが重大な動機、及
び動悸となり、人を抹殺するのだろうか
と、ここまで考えたところで、私は夜風を取り込むことをやめ、
十年来使い古している机に向かい、コシを静かに椅子の底へと埋めた、
私は言葉により生計を立てることのできる言葉を使う職業に就き、
その人生を尽くしたいと願ってやまない一匹の学生であるが、
未だに、言葉の本質について知ることは、出来ずにいる
そんな夜を私は、私と握手しながらすごしている。