十三階の女
草野大悟

炬燵に入って「行く年来る年」を見ていた沢井亜紀は、ふーっ、と大きなため息をついた。親元を離れ、このマンションの十三階で暮らすようになってもう四年になる。去年は、大学一年の時から付き合っていた男と二人で、この部屋のこの炬燵に足を突っ込んで「行く年来る年」を見ていた。その男とは、男の浮気が原因で別れた。それ以降、亜紀は特定の男と付き合ってはいない。

「明けましておめでとう」、そう口に出して、亜紀は思わず涙ぐんでしまった。一人きりの元旦になることは覚悟していたはずなのに。亜紀がもう一度、ふーっ、と大きなため息をついたその時、サイレンが響いた。その音は亜紀の住むマンションでピタリと止まった。窓を開けベランダに出ると、赤色灯をつけた救急車が駐車場に止まっており、ちょうど救急隊員三人が、担架を持って走るようにマンションに入るところだった。
赤色灯の光が粉雪に反射し、淡い桜色の虹が架かっていた。

突然、救急車の陰から女が飛び出してきた。
女は長髪を振り乱し、救急車の周りを何回も何回もせわしなく回っていた。
救急隊員が119した女を担架にのせてマンションから出てきた。
担架の右横に、寄り添うように男がいた。
男の姿を見たとたん、女が叫んだ。
「あんたぁー、なんでえー、なんでよおー」
その声は、元旦の静寂を引き裂いて、あたり一帯に響き渡った。
男が、ギョッとして一瞬躰をこわばらせたことが遠目にもはっきりと判った。

「なんなのよおー。この女なんなのよおー」そう繰り返しながらまとわりつく女を、男は犬でも追い払うように「うるさい」、そう言って押しのけた。
担架の女が救急車に乗せられた。
救急隊員が続き、男が続いた。
「あんたぁ、そんな女と行かないでぇ、あんたあー」
女は半狂乱になって救急車をガンガン叩きながら叫び続けた。

サイレンを鳴らし、救急車が発車しようとしたその瞬間、女が前輪直前に横たわった。
救急車が動き出した。その直後、「ゴトン」という鈍い音が二回、亜紀の耳に聞こえてきた。
救急車は、十メートルも行かずに停車して救急隊員が飛び出してきた。
隊員の後方には、先程叫んでいた女が倒れていた。
降りしきる雪が、横たわる女の躰をそっと包んでいった。


自由詩 十三階の女 Copyright 草野大悟 2013-01-06 22:12:40
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