ぱんにゃ・はらみーた
ドクダミ五十号

知恵の完成と理解される。
常に知識では無く、知恵の追求。
サーラ樹の下、ごーだま・しったーるだは
完成を目指した。身分も捨て、己の究極。
彼岸に至る事を求め至る。
成し遂げられたと彼は単純に考えなかった。
これを己だけの知恵としてはならんと開始した。
即ち伝えだ。輪廻から解脱すべしと。
当時の悪しきカーストに縛られた者は、目覚めた。
社会宗教として因習は破られ、人間本来が
存在の本質であると、肉体と精神両面であると。
知恵に目覚めよ!と云われる。それを打ち破る
人間は只の一人も現れていない。
イエスでさえ絶命の架に於いて旧教の神に叫んだ。
どういう訳かそれは誤解され、ローマ帝国の支配に
利用され、残虐の釈明とされた。
知恵の完成は明らかに詩的だ。
一語にさえ込められ残されている。


自由詩 ぱんにゃ・はらみーた Copyright ドクダミ五十号 2013-01-06 19:36:44
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