あなたが何故肩も背中も震わせて
歯を食いしばって泣いていらっしゃるかは
ぼくには解りませんでした

しかし　あなたの嗚咽を殺すかのように
スクリーンでは人々が歓喜の真只中で
“インターナショナル”を合唱していましたよね
あれはあなたが想い描いた夢の世界だったのでしょうか

きっとあなたはその夢に深く鋭く傷つかれ
ぼくには想像もできないほどの挫折を
たぶん舐め尽くしてこられたのでしょうね

あれはまだ午後の早い時刻でした
おそらくあなたは仕事をサボって
ぼくと同じでジョン・リードを描いた“レッズ”を観にこられたのでしょう

ぼくはきっとあなたより遅れて生まれた世代なのに
ぼくとはそんなに歳は変わらない一人のサラリーマンであるあなたが
手を前席に差し伸べて床を向き
こらえてもどうしようもなかったのでしょう
あなたの嗚咽が聴こえてきてしまいました

長かった髪もきっとお切りになったのでしょう
気慣れないまだ新しいダーク・スーツも買われたのでしょう
きっとネクタイを結ぶのに何回も練習されたと想います

そんなあなたがまだ勤めて間もないはずなのに
会社をサボられこの映画を観に来られて
まさか自分が泣くとは想わず
“インターナショナル”の歌がそれほどこころに刺さるとは
想像もおつきにならなかったのでしょうね

ぼくは映画そのものよりあなたの方が
鮮烈な記憶となって残ってしまいました
いまはその傷はお癒えになったのでしょうか
幸せな結婚をなされて佳き女性との間に
お子様にも恵まれ暮らしておられることを
ぼくは祈らずにはいられません

あなたが夢見たことはとうとう起こらず
そのツケをあなたも支払う側になってしまわれたのでしょうね
世界は簡単には変わらないことをぼくらは
教えて頂いただけでただただ充分でした

見知らぬ方ですが　あなたが引き替えになされたものを
差し出されたものの重さを考えると胸が痛みます

だからいま幸せでおられることを
笑って生きておられることを僭越ですが
ぼくは願わずにはいられないのです

どうかその幸福に後ろめたさをお感じにならないでください
もし　そうでないことを強く願いますが消せない後悔を感じられているのなら
それをあの理想に叩きのめされたせいにだけはしないでください

ほんとうに大切なことは小さな声で囁かれるように
ほんとうに大切な世界は小さな幸で創られていくことを
あなたにお子さんがお孫さんがお在りになるのなら
そのことを次の世代に伝えつづけることに力を注いでください

もし　そこにかすかでも後ろめたいものをお感じになるのなら
どうかあなたのこころのなかにしまい込みながら
中島みゆきクンが歌ったように軽く軽く傷ついていってください

ほんとうに大きな傷を負って生きていくべきなのは
あなた方ではなくあなた方を叩きのめした
昨日にしがみつくことに終始した古い頑固者たちだとぼくは感じます
奴等はもう彼岸に逝った者も居れば
たとえ生きていてもすでに棺桶に片足を突っ込んでいる者ばかりです
ぼくは　そんな奴等の冥福を祈る気持ちはまったく持ち合わせていません

もうあなたはきっと定年を迎えられている頃でしょう
どうか佳き人生をもう一度　愛するご家族とともに生きてください
あなた方の為されたことはこの国でも無意味ではなかったはずです

ぼくは　こころよりあなたがこの旅の終点にお着きになるまで
疼く傷を悟られないよう
あなたのいま信じておられる世界のために全力を賭して
背筋を伸ばしお顔を上げて歩かれることを願って止みません

どうかお達者で長き生を
あなたの歩むこれからの途が穏やかな坂道であることと
風は逆風ではなく順風であることを願いながら　
あなた方の背中を見てきた者がいることを
こころの片隅に留めておいてください