育てる事に疑問を持たない
ドクダミ五十号
托卵と云う習性がありまして
無責任と人間の倫理からすれば思われる
然し
命の巡りとしては全うで
巣の兄弟を蹴り落としても
親は咎めたりしないのです
どういう訳か
美しい声で深夜くらいに鳴きます
忍び音と称されるのですが
何を偲んで鳴くのでしょうか?
所謂「捨て子」のわたくしには
勝手な妄想として罪の独白と聞こえるのです
何の罪かを述べるならば
無為の故の殺生と
純粋なる愛との相克としての
自然と申し上げます
人間の知性など
遠く及ばずの天然のなせる技と問い
真冬にも関わらず初夏を思うは低脳の限り
生まれてしまった命と寛容が産み出す苦悩に似ている
そう云うふうに考える馬鹿が居ても
許される世界をもっと広くするべきなのだろう
行動を助けてくれる人は多く居る
その方々に礼して奉るのである
今年も届いた無垢な命の精一杯の図画に
季節外れの鳴き音を漏らすのは自然であろう
批判が入り込む隙があるならどうぞ