あずきの恋人 (連載②)
たま
だれかが来たのかもしれない。わたしはイチローのあとを追いかけて、玄関のドアを開けてみたけれどだれもいなかった。イチローは玄関の前のしろい郵便ポストのうえに、すばやく飛び乗ると、ほそくて長いしっぽをまっすぐ立ててふりかえった。
アー、アー……。
「あ……、そっかぁ。郵便屋さんが来たのね、きっと……。」
わたしはポストのなかをのぞいてみた。
「ん……? なにかはいってる……。」
それは郵便ではなくて、ノートぐらいの大きさのうすい紙だった。チラシかもしれない……、わたしはそう思った。
青いインキでなにか書いてある……、『手づくり絵本教室のお知らせ』……。えっ……?
一瞬、わたしの息が止まって、頭のなかがまっしろになった。
「うっそぉーー。」
わたしはこどもみたいに大声をだしてしまった。
『手づくり絵本教室のお知らせ』……、
/なんだか、夢みたい……。
□日時・八月二十日(月よう日)、お昼十二時半から……、
/え……、来週なの……?
□場所・猫又木山文化会館(三階・第二会議室)……、
/ねこまたぎ……やまぶんかかいかん……? どこかしら……、団地のちかくかなぁ……。
□参加費・無料……、
/おっ、ラッキー……。
□定員・三名……、
/え……、たった三名って……? ん……、めっちゃ、やばいかも……。
□参加申し込み・「猫又木山文化会館」管理事務所まで……、
電話012……。
わっ、どうしよう……。
わたしはいますぐ申し込まないと間に合わないかもしれないと思った。でも、おかあさんはいないし、いつ、帰ってくるかわからないし……、もし、夜まで帰ってこなかったら、あしたになってしまうし……。そうだ……、わたしが電話すればいいんだ。
わたしはあわてて台所にもどって電話の受話器を手にとった。
アー、アー……。
イチローも小走りで追いかけてきた。
……プルプルプル……、プルプルプル……、
いやだなぁ、わたしの心臓がドキドキしてる……。
……カチャッ、
「はい。お待たせしました。ねこまたぎやまぶんかかいかんです……。」
女のひとの声がした。
「あ、もしもし……、あのぉ……。わたし、絵本教室に参加したいんですけど……。」
「あー、絵本教室の申し込みですね。」
「はい。そうです。まだ、間に合いますか?」
「ええ、だいじょうぶですよ。」
あ、よかったぁ……。わたしはホッとして台所の床のうえにすわりこんでしまった。
「もし、もし……。」
「あ、はい。」
「お名前をおっしゃってください。」
「はい。井上あずきです。」
「あずきさんですね。小学生ですか?」
「はい。花山東小学校五年生です。」
「えーと、小学生は保護者の方といっしょに来てほしいのですけど……、おかあさんはいっしょに来られますか?」
「え……、おかあさんと?」
「はい。おとうさんでもかまいませんよ。」
「あ、おとうさんは仕事があるからむりです。」
だって、月よう日だもん……。
「じゃあ、おかあさんとですね。」
「ん……、あ、はい。」
「では、おかあさんのお名前と、おとしをおっしゃってください。」
「あ、はい……、井上ゆかり……、ん……、……、」
あれっ? おかあさんいくつだったかなぁ……。
「だいたいでけっこうですよ。」
「あ……、じゃあ、四十歳です。」
「あらっ、四十歳ですかぁ。わかくみえるわねぇ……。」
「え……? あのぉ……、おかあさんのこと……。」
「いっ……、うー、ごめんなさい。こちらの話しなの。あずきさんは気にしないでね。」
「はぁ……。」
こちらの話しって、なんだろう……、へんなひと。
「えーと、ほら、あずきさんはいま、絵本とか描いていますか?」
「はい……、絵本を描こうと思って、描きはじめたばかりなんですけど……。」
「あ、じゃあ、その絵をもってきてくださいね。」
「あ、はい。わかりました。」
「では、お待ちしてますから、おかあさんによろしくお伝えください。」
「え……、あ……、はい。」
……プチッ……、ツー、ツー、ツー……。
なんだろう……? わたしはなんだかすっきりしない気分だった。絵本教室のことはラッキーだなって思ったけれど、頭のなかがモヤモヤして、しばらく台所でぼんやりしていた。う……ん、だいじょうぶかなぁ、おかあさん。月よう日だから、おばあちゃんをお医者さんにつれていくかもしれないし、ほかになにか用事があって行けないかもしれないし……、う……ん。おかあさん、はやく帰ってこないかなぁ……。
アー、アー。
イチローも心配そうにわたしの顔をみていた。
おかあさんと、おばあちゃんは夕方には帰ってきた。
でも、絵本教室のことはなかなか言いだせなかった。おとうさんがめずらしくはやく帰ってきたから、晩ごはんはすき焼きになったの。
「かあさん、血圧はどうなん? すこしはさがったのか?」
おとうさんがビールを飲みながら、おばあちゃんに話しかけていた。
「はい。あたしゃ、元気だよ。」
「また、そんなとぼけたふりして……、まったく、ひとさわがせなんだから。だいたい、年寄りのくせして、夜おそくまでテレビをみてるからだめなんだよ。」
おばあちゃんと、おかあさんは韓国のテレビドラマが大好きだった。
「だって、あれ、おもしろいのよ。ねぇ、ゆかりさん……。」
「そうよ、おばあちゃんだってまだまだわかいのだから、恋愛ドラマみてハラハラしたいわよね。あ……、でも、おばあちゃん、これからは録画しておいて、お昼にみましょうか。」
「うん、あたしゃ、いつでもいいわよ。」
「恋愛ドラマでもなんでもいいけどさぁ、そんなものみてハラハラしてたら、また、血圧あがっちゃうよ。なぁ、あずき。」
わたしはだまってご飯をたべていた。
「う……、うん。」
「どうしたの? あずき……?」
おかあさんが言った。あ……、これって、グッド・タイミングかも……。
「ねぇ、おかあさん、猫又木山文化会館って、知ってる?」
「うん、知ってるわよ。たしか、団地の北側にあったはずだけど……、どうして?」
「あのね、来週の月よう日に絵本教室があるの……。」
「あら、ほんとに?」
「うん。きょうね、チラシがはいってたの。」
わたしはチラシをポケットからだしておかあさんにみせた。
「ふーん、ちっとも知らなかったわ。あずき、行ってきなさいよ。」
「うん……。そのつもりでもう電話したんだけど……、それが……。」
「どうしたの?」
「おかあさんといっしょじゃないとだめなの……。」
「え……、そうなの? 月よう日ねぇ……。」
おかあさんはそう言って、おばあちゃんの顔をみた。
「あたしゃ、だいじょうぶだよ。あずき、おかあさんといっしょに行ってらっしゃい。」
やっぱし、おばあちゃんはわたしの味方だなぁって思った。
「手づくり絵本教室かぁ、あまり聞かないね。あずき、どんな先生がおしえてくれるのかなぁ?」
おとうさんがチラシをみてそう言った。
「え……? センセイ? ん……、わかんない。」
そういえばわたしはそんなことちっとも気にしていなかった。
「定員三名って、すくないわねぇ。」
おかあさんが言った。
「う……ん、なかなかいないよ、絵本を描きたいなんて。生徒はあずきひとりかもしれないね。あ、そうだ。あずきの絵本、あとでおとうさんにみせてよ。」
「え……、まだ、完成してないよ。」
「そっかぁ。じゃあ、絵本教室でしっかり勉強して、完成したらおとうさんにみせてくれる?」
「うん。わかった。」
あ……、よかったぁ。なんとか絵本教室に行けそうな気がして、わたしはとてもうれしくなった。よーし、がんばるぞ。
そのときだった。窓の外でなにか黒い影がうごいてすぐに消えた。
あれっ? イチロー……?
つづく