課題「遊」:真面目なちびまる子ちゃん
木原東子
遊びってものをわたしゃ
ほとんど経験ないんだよね、これが
今だって、真面目に
考えようとしてるし
義務じゃなくただ楽しいこと
リアルじゃなく目的がない
ルールがあってもその場限り
有用じゃなく暇つぶし
でも退屈じゃなくまたやりたい
仔も子も遊びながら
生きるのに大事なものを身につける
大人になっても遊ぶ、余裕があればさ
そうだ、思い出したよ
子ども時代の終りに一度だけ
すっかりはまってしまった遊び
治水工事
大雨があって、高い石垣の下の小径に
かなりの水が淀んでた、のだったか、、、
次第に水が残り少なくなった頃
石垣沿いに水を誘導して
河を作り始めた、誰となく
一番の年長だったわたしゃ、珍しく
工事監督気取りになった
買ってもらったばかりの、お気に入りの紙挟み
そこに工事の行程のメモをはさんだ
異常にハイテンションになって
年下の子たちに、石を集めよ、並べよ
水漏れを防げよ、よおしうまくいった
もっと長く作るのだ、もっと石を運べよ
などと
有無をいわさず命令した
命令をうけみんなよく働いた
それをメモした、紙挟みを抱えて
みんなの共同作業はとどこおりなく
やがて治水工事は完成した
何を完成させたんだろねえ
楽しく計画し働かせ、充実したちびまる子ちゃん
しかしもっと胡乱な、陰微な遊びもしたんだね、これが
病気ごっことわたしゃ呼んでいたが
老も若きも(つまり5歳児も7歳児も)男女を問わず
真面目に病人を看病する手助けをした
一番かわいい子を病気と称して膝に抱き
隅っこに隠れて、介護のふりをする
そこには、ねえ
いうにいわれぬ甘美な感覚があったもんだ
遊びのなかにすでに潜んでいる現実
そんなこんなの数十年
今やわたしゃ
聖老女となって
印を結び、悟りを得て
別れを待っている
自然も都会も美しいよ
わたしゃ独自の自分だよ
楽しい時間はあまりなかったが
それを惜しむわけじゃなく、、、
くう、結論に至らない
かなり空疎な時間だった
わたしゃ居ても居なくてもよかったんじゃん
たくさん食べ散らかして悪かった
それが結論、真面目な話