雨、犬、つむじ、台所のこと
はるな


昼間、つめたい雨がすこし降っていた。音もしないでしずかに、「長く」というかんじで降ってくる雨。

母親になった友人と、これから母親になる友人と、母親になる予定のない友人とわたしとで会った。生まれて一か月とすこしの小さな生き物と。
やわらかく、はりつめたような薄い皮膚。まるでほんとうとは思えないほど小さな足の指の一本ずつに、一枚ずつきちんと爪がのっていて、それは奇跡みたいだなと思った。あのやわらかな頭蓋骨。秘密をかくすように渦巻く愛らしいつむじ。


子どもはすぐにでも欲しいと思っている。たくさん欲しい。そのつもりでいるけれど、できないのだ。もしも子どもができないのだとしたらどうする?と夫に聞くと、犬を飼おう。十匹だな。犬を十匹飼おう。と、言う。


雨の降っているうちは泣きそうなくらいのぶ厚い曇りだったのが、夕焼けは見事だった。まえにも書いたけれど、オフィスからみる夕焼けはすばらしい。これだけ曇りだからきょうは見られないでしょうね、などと話していたら、空にぱかりと隙間があいて、そのあいだを飴玉のようにひかる太陽が落ちて行った。雲にはさまれて、にじむように染まる空。
彼とはいちども夕焼けをみなかった、みたとしても朝焼けだけだ、と、考えているうちに黒が来てしまう。
どこへいても、いつでも、彼のことをかんがえている。みっともない、恰好の悪いことだ。

右向きに渦巻く産毛を撫でさせてもらいながら、彼の子どもも、こういう風に撫でられたのかと思う。母親と父親のあいだで、こういう風に獣みたいな純真さでときどき笑っていたのか。彼は笑っていただろうか。すこし疲れたみたいないつも見る笑顔じゃなくて、小さな獣と似た笑顔で笑ったりしただろうか。あの人は幸せだと言っていた。子どもを抱いているときは幸せだ、と。春菜を抱いているときよりも幸せだと。

母からは宝籤の写真が毎日のように送られてくる。
黒くすべらかな毛、かしこそうなまぶた、おどろくような速さでたくましく長くなる後ろ足。宝籤はお腹の毛が白い若い犬で、写真にはめったにうつらないけれど、尻尾の先のほんの数本の毛も白い。


犬を十匹。
夫が一人。
幸福だろうな、と思う。かんがえるだけでこんなに幸福になってしまえるのだもの。

夫はリビングで寝ている。きょうは小さないさかいをした。つまらないことだ。そのあとですぐ横になって寝てしまった。わたしがシャワーを浴びて出てくると、いい匂い、と言ってにこにこしながらまた眠った。


夜。幸福のかたちが窓へうつりこむのを見ながらお湯を沸かしている。
雨はもうふっていないし、彼とはもう会わない。
それに、ここには犬も、子どももいない。
流し台の上にはつくりつけの棚があって、洗い物の少ないときにはそこでかわかしてしまう。いまはマグカップがふたつ並んでいて、それは朝に使ったものだ。
まいにち朝に、一番気に入っているカップで夫にコーヒーをつくり、二番目に気に入っているカップで自分のコーヒーをつくる。それを幸福と言わずしてなんと言うのだろう。けれど、幸福がそんなに独りよがりなものであっていいのかしら?

もう、お湯のわくのを待たずに、ひとりで、お酒をのみはじめてしまう。
台所はしずかで、はだしの足に床がつめたく、見放されたような心持で、それでいて、どうしてかほっとしている。



散文(批評随筆小説等) 雨、犬、つむじ、台所のこと Copyright はるな 2012-11-28 23:26:20
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