我が敵に寄する讃歌
杉原詠二(黒髪)

人は生きていく上で様々な困難にぶつかる。その最たるものは、人間との関係である。
脳裏に描いた通りの道筋を邪魔する人たち、そういった人たちに対して、敵対関係になる、
そこまではいいが、それ以上踏み込んだ要求をするのは行きすぎである。
自分が邪魔とする範囲を索敵するのはいいが、疑心暗鬼が過ぎると、破壊になる。
なぜ特定の種類の人が特別に敵となるのか。その疑問に、「物語」をもって答えたい。
物語の構築は、無謬である。なぜなら、原理が強く保持されているからである。
物語の上で勧善懲悪、正義不義等の対象が生まれる。それは、法律によって制定される。
奇妙な物語でないかぎり、人間の精神性を包み込むような包容力が物語には託されるから、
法律に則っている限り、大きな間違いはない。
敵。とは、物語の上での必然的な悪役である。

物語は飽きられる。完成された物語は離脱を促す。そして、大人の時が始まる。なにものにも目的づけられていない
新たな時間が。完成された精神は過去にこだわらない。そして、かつての敵はいなくなる。
法律は機械となり、人間のために隷属する神が生まれる。なぜ神が新しくなるのか。それは、現実さえひとつの物語であり、神がそれに現実化を施してきたからである。人間の新しい神は、理念に基づくのでもなく、命を守るためのものでもない。自分の分身として使役される役割を持ったものだ。それを大文字の神として共通理念とするのだ。


散文(批評随筆小説等) 我が敵に寄する讃歌 Copyright 杉原詠二(黒髪) 2012-11-08 17:42:18
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