評価をどう受け止めるか。
元親 ミッド
例えばキミが絵を描いた
例えばキミが唄をうたった
例えばキミが何かアイデアを思いついた
・・・その他何でもいい
キミが何かを為したとして
それを見るか聞くかした第三者が
もしも芳しくない評価をしたとしたら
正直、へこんでしまうかもしれないけど
ちょっとまって
実はあながちそうでもないのです。
私の思うに、誰かが何かを評する時には
大まかにわけてまず2つがあると思うのです。
それは
“評価するに値するのか、しないのか”
つまり、評価するに値しなければ
人は意見すら述べてくれないものなのです。
だから、何かしらの意見が出たのなら
それは、あなたの為した何かを
第三者が見るか聞くかして
“評価するに値する”と判断したのだと
いうこと。
事実、人とは意外とあまのじゃくで
右と言われれば
左もあるだろと言いたくなるもの。
素晴らしいものを
素晴らしいというときは
そりゃ文句のつけようもないほどに
優れている場合だけ。
もしも何かしらの発展要素が残っていたなら
人は、右に対して左と言い
左に対して、右という。
それを可能性と受け止められれば
新しい扉を見つけることも
あるかもしれない。
だから、どうか気を悪くなさらないでください。
そこで腐ってしまえば
せっかくのあなたの可能性を
諦めてしまうことにも
なるかもしれない。
それは、あまりにもったいないのです。