三田九郎

陽射しを浴び

並木道は影に染まる

暗がりは

木々の存在の証明だ

存在とは、結局

何者かに照射されて初めて

浮かび上ってくるものなのかもしれない

いったん木々に目をやれば

それでも、木々の身体が

確固として立っている

存在は

影などには回収されない

自己を持つのだ


自由詩Copyright 三田九郎 2012-10-31 06:35:23
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