うしろのおっさん
川上凌

学校指定のカバンとエナメルを横に置くと、どうしてもふたり分の座席を占領してしまう。日が落ちきって、人も疎らなバスの車内がありがたい。いくら荷物が多いと言えど、ふたり分を占領することはなかなか勇気がいる。
今日は後ろから2番目の席だから、バス全体が見渡せて、すごく嬉しい。嬉しいというのは、いつの間にか、バスの中の人間観察がクセになっていたからだ。(運転手さんも、人それぞれのアナウンスと運転の仕方があるのだ。)

地面の起伏に合わせて、バスが ごうん と揺れた。

ふと気付くと、いちばん後ろの席のおっさんがぶつぶつと何かを呟いていた。田舎ほど、こういう人はよくいる。
わたしのちょうど後ろにいるおっさんは、前のめりになっているから、必然的にわたしと距離が近くなる。バスという狭い空間の(しかも、座席も近い…)中で、前のめりになることは、ちょっと遠慮してもらいたいのだ。でもここでわたしが前のめりになってしまったら、きっと前の座席に座る女子高生は少し怪訝な顔をするだろう。

女子高生のためにも、

我 慢 す る し か な い !

あともう少しの我慢だとおもって、まるで修行僧のような心持で、ひたすらおっさんの目的のバス停に着くのを待った。
その間もおっさんは遠慮なしにひたすら呟き続ける。

わたしは終点で降りるし、田舎だからバス自体、30分に一回くらいの割合でしか来ない。ここで降りるわけにはいかないのだ。降りたら負けだ!妙な意地が発動しはじめたころだった。

おっさんがあくびした。

むわり、とおっさんの呼気が周囲を包んだ。
おっさん特有の呼気は思春期にとって耐えがたいもの。だけどなぜか嫌じゃなかった。(変態的な意味ではない。)

終点のいっこ手前のバス停で、おっさんは降りて行った。
うしろは一度も振り向かなかったから分からなかったが、おっさんはハンチング帽にしわしわのスーツを身に纏っていて、藤色の傘を杖代わりにして、不格好な長靴をガポガポと鳴らして降車していった。

五十か六十くらいの齢だと推測したが、本当はもっと若いかもしれない。おっさんの背中が情けなく、ずいぶんと小さく見えたから。そう思った途端に、あのおっさんの人生のなにかが、脳みそに直接なだれ込んでくる気がした。

ああ、あのおっさんもなかなか色々なものを抱え込んでいるのだな、あのおっさんの齢の三分の一もいかないであろう私の悩みなんて、ちっぽけで図太いものなのだ、と思った。

むしろあのおっさんのほうが、大きく儚いものをたくさん抱えているはずだ。

気付くと終点で、バスに残っていたのはわたしだけだった。
慌てて降車して、あのおっさんの長靴を思い出しながら、ローファーの踵を鳴らして歩きだした。





散文(批評随筆小説等) うしろのおっさん Copyright 川上凌 2012-10-30 21:53:26
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