絶望したなら仰ぎ見よ。
元親 ミッド

「絶望」ってのは、文字どおり望みが絶たれたってことさ。

でも、もしも、それでもあきらめずに
もう一度って、望みを探して、探してさ、
再び望みをまた見つけることができたなら
その時は、望みがあるのだから
それはもう、「絶望」じゃない。
それは「希望」になるんだよね?

でも、そうやって
頑張るのがきついって言うのなら
こう考えてみて。
「絶望」のどん底で打ちひしがれてきついのと
「希望」を持ち続けてきついのとでは
同じきついでも、全然意味が違うって。

どうせどっちもきついんならさ
がんばってきつい方が
その先、救われるかもしれないし
報われるかもしれないじゃない?
それならがんばってきついの方が
良くないかな?

辛いこと、悲しいことは、誰だって、嫌に決まってる。
俺だってやだよ。
でも、もしもそんな辛いこと、悲しいことがあって
何かにキミが「絶望」してしまったら
その時は、思い出してほしいんだ。
自分から、望みを捨てさえしなければ
絶望を希望に変えることだってできるかもしれないって。

奇跡は、そうそう起こらないかもしれないけど
もしも起こることがあったとしたら、
きっとそんな時におこるんだって。

だから闘おうよ。
闘い続けようよ。
希望って誰かにもらうもんじゃないよ。
与えられるものでもないよ。
希望ってのは、自分で持つものなんだから。


自由詩 絶望したなら仰ぎ見よ。 Copyright 元親 ミッド 2012-10-27 04:38:40
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