続続・田村隆一詩集 現代詩文庫を読む
葉leaf



木は黙っているから好きだ
木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ

ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか

見る人が見たら
木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で
木は歩いているのだ 空にむかって
木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
木はたしかにわめかないが
木は
愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて
空に返すはずがない

若木
老樹

ひとつとして同じ木がない
ひとつとして同じ星の光のなかで
目ざめている木はない


ぼくはきみのことが大好きだ


 この詩が収められている詩集『水半球』は、1980年、田村が57歳のときに出されています。さて、この詩集が刊行される前年、1979年に、田村は西脇順三郎について、篠田一士、鍵谷幸信とともに、「諧謔と幽玄の哀歌」という対談を行っています。そこから引用します。

篠田 そうなんだ、つまり吉田一穂とは違うのよ。
田村 ありゃだめよ。
篠田 いや、だめじゃないけど、吉田一穂は固執しないとわからないし面白くない。固執させることによって詩的言語を確保したんだから。
鍵谷 それは意味あることでね、吉田一穂の場合は言葉に固執し、詩の世界を閉鎖することで成立する。だけど西脇順三郎の場合は、解放するということで、まず歩きゃいいんだから。
篠田 読者もまた固執しちゃいけないのよ。固執したらかえってわからなくなりますよ。
田村 あのね、一人で歩いちゃだめなんだ、二人連れでなきゃ。
(中略)
鍵谷 田村さんが吉田一穂をだめだというのはどういうこと。
田村 肩に力が入ってる。
鍵谷 そうなんだ(笑)。ところが西脇さんは肩どころか全身から力が抜けちゃってる。
(中略)
田村 詩を書く場合は肩に力を入れたらだめよ。
(中略)
篠田 しかしねえ、そんなこと言うなら『四千の日と夜』なんて、肩の力が入れっぱなしじゃないか。
鍵谷 むしろ力の入れすぎといえないこともない。
田村 若いのよ(笑)。
(中略)
田村 肩から力を抜くということは、たいへんな力がいるということだ。セバスチャン=バッハよ。

 つまり、肩から力が抜け、それ以上に全身から力が抜けているという意味で、後期の田村と西脇順三郎は共通していたのです。『四千の日と夜』の頃の初期田村は、若さゆえに自動的に肩に力が入ってしまい、垂直的人間でなければならない、などの倫理性が強く出ていて、西脇とそれほど似ていなかったのです。後期田村と西脇に対立するものとして、肩に力が入っているとされる吉田一穂が挙げられています。では、後期田村と西脇の類似性、後期田村と吉田の差異について見て行きましょう。
 まず、吉田の作品を読んでみましょうか。

白鳥



掌(て)に消える北斗の印(いん)。
……然(け)れども開かねばならない、この内部の花は。
背後(うしろ)で漏沙(すなどけい)が零れる。



燈(ラムプ)を点ける、竟には己れへ還るしかない孤独に。
野鴨が渡る。
水上(みなかみ)は未だ凍つてゐた。

(後略)

 このように、吉田の作品にみられるのは、きびきびとした断言であり、そこに「遊び」は感じられません。漢字の読み方も逐一指定していて、彼の詩は大きな目標に向けて自らを律していく彼の姿勢を如実に表しています。彼はエッセイ「極の誘ひ」において、北極への憧れを強く語っています。そこでは「人・獣・神」が一体となり、そこには神話力の源泉があり、そこは「ネガティフな生命の源泉」であり、彼はそこへと垂直に向かっていこうとします。彼には壮大なロマンがあり、そのロマンへ向けて彼自身を厳しく律していくのです。
 この吉田の姿勢は、初期田村に似ていないでしょうか。確かに、初期田村は主に思想を語っており、吉田のようなイメージ偏重ではありません。ですが、戦後、軍隊での厳しい規律や戦時の緊張状態をどこかひきずりながら、と同時に敗戦の傷と立ち向かい、その傷から否応なく発されていく言葉を発した初期田村の厳しさと遊びのなさは吉田に似ています。生ぬるい生活や雅な叙情などには回収されず、意志と自律によって虚構の厳しい世界を作り出したという意味では、吉田と初期田村はかなり似ているといえるでしょう。ですが、だからこそ田村は吉田を否定する必要があったのです。
 次に、西脇の作品を見てみましょう。



南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
この静かな柔い女神の行列が
私の舌をぬらした。

 この作品は、西脇の第一詩集『Ambarvalia』に収録されています。1933年、彼が39歳の時に出版されたものです。その四年前、1929年、彼が35歳の時、『超現実主義詩論』を出版しています。『超現実主義詩論』において、西脇は、退屈な人生を面白くするために時空間的に遠く離れたイメージを結びつけることを詩学として提示しています。さらに重要なことは、この論において、彼は芸術を、経験を表現する現実主義ではなく、経験を破る超現実主義としてとらえていることです。
 確かに、「雨」を読んでみますと、青銅と噴水とツバメと、意外なものが結合されているのが見えますし、雨を女神の行列とみなすことも意外な比喩であります。そして、この作品は全き虚構であり、西脇の経験を超えたところで成立しています。ですが、この作品にみられるのは、それ以上の官能性ではないでしょうか。女神が舌をぬらす、というのはまさにエロティックな表現でありますし、様々なイメージの列挙も、読者を惑わし、読者をイメージの官能の中に巻き込むものであります。さらに、この詩には「遊び」がふんだんに取り入れられています。遠いものを結びつけるということは、逆に言えば恣意性を許容するということであり、また、経験を破るということは、経験の呪縛から自らを解き放つということでもあります。また、官能性自体も遊びであり、感覚の自由な刺激の中に自らを漂わせることであります。
 西脇はのちに、彼が74歳の時に出版された『詩学』に収録されることになれる「ボードレールと私」というエッセイで、ボードレールの『悪の華』を諧謔の産物とみなしています。西脇は老境に達するにつれ、ウィットや軽みや諧謔や無の方角へと傾いていきますが、その「遊び」への志向はすでに『超現実主義詩論』の一見厳しそうな詩学にも胚胎されていたといえるでしょう。
 「遊び」とは、その根源的な無償性によって特徴づけられます。遊ぶ者は、遊びに様々な資源を費やしながらも、それを何か生産的な目標に寄与させることを拒みます。遊びは、現実のさまざまな規律から逃れ、自由に自らを費やしながら、遊びそのものを目的とする行為です。遊びは外に目的を持たないその自由さによって、かえって外の現実の役に立ったりします。芸術における美もその一つであり、芸術がそれ自身を目的とするとき、そこに美が生まれやすく、そしてその効用は外側へと波及していきます。
 田村は、詩においても詩論においても「遊び」のない吉田を嫌った。それは自身の初期の創作の超克でもあるでしょう。一方で、詩においても詩論においても「遊び」に満ちている西脇を好んだ。
 さて、ここで冒頭に掲げた「木」を読み返してみましょう。「木は黙っているから好きだ/木は歩いたり走ったりしないから好きだ/木は愛とか正義とかわめかないから好きだ」。このあたりの思想はまさに軽妙洒脱であり、話すことや移動することの生産性の拒絶、大義名分へと自己を律していくことへの拒絶が語られています。しかし、ここまでは本当の遊びではありません。
 次を見てみましょう。「ほんとうにそうか/ほんとうにそうなのか」。そして、それ以前とは違った木の在り方の可能性について語っていきます。このような、直線的ではなく、旋回し、反転するような詩行の動きはかつての田村にはほとんど直接的には見られなかったものです。かつての田村は、基本的に詩において直進を続けていた。まさに、何かしらの現実の目的のため労働するかのように。ところが、ここで田村の詩行に、明示的に、立ち止まり、振り返る、という余裕が生まれてきます。このような思弁は、まったく無益で、何の役にも立たないかもしれない。その遊びが田村には生まれてくるのです。
 そして最終連。「木/ぼくはきみのことが大好きだ」。こんなに詩的に自由な表現はあるでしょうか。ここに来て田村は、詩であるために必要な規範をすべてなげうっているように思えます。この言葉は詩でなくても全く普通に発されうる言葉です。ですが、後期田村の作品には、このような、詩であることからも自由であるようなぶっきらぼうな言葉がたくさん出てきます。詩というものを遊びと化すこと。そしてさらに、詩という遊びのルールまで無視して、詩であることからも自由になり、詩を超えた遊びを展開していくということ。後期田村の作品には、このような遊びの極致のような特徴がみられます。





散文(批評随筆小説等) 続続・田村隆一詩集 現代詩文庫を読む Copyright 葉leaf 2012-10-26 16:08:25
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