告白
三田九郎

定型というか

規則性というか

常識、

節度と言ったっていいかもしれない、

生き方っていうのは

どうしたってある程度の

種類というのか

区分というのか

そういうのがあって、

自由とか

こういうのが好みだとか言ったって、

ほとんど決まっちゃってるわけね。

え?

あ!

ちょっとくらい

新奇なものがあったって

そういう驚き、

生命の根源から瞬時に

ぶわっ

と衝撃が湧き出てくるような、

そういう生き方に遭遇するなんて

まずないんですね、

こういう言い方は

傲慢かもしれないけど。

だから、そういう

決まりきったあり方

ありふれているもの、こと

そういうものから逃れたい

そういう気持ちがあるわけですよ

だから詩を書いたりするんだな。

だけど、やっぱりね、

難しいんだよね、

これは。

自分で書くということは、

自分がどれだけそこから逃れられるか

僕自身が、僕という器を叩き壊して、

自分というもののあり方から飛び出して書けるか

ってことになるんだけど、

やっぱりね、

決まりきったものになっちゃうのね、

できあがったものを見ると。

これのどこが自由なんだろうって思うんですよ。

もう、目を覆ってしまいたくものばっかり。

本当の本当に

自由に書いていいんだ、

逃げてみろ、

書いてみろ、

叩き壊せ、

飛び出せ、

いくら言ったって

念じたってできないんだな、これが。

書いたものを見返すと、

いたっていなくたっていいような

つまらない人間そのものじゃないかと。

自分というもの、

自由を求めるということ、

その限界をすごく感じますね。

ただ、その限界と向き合っているときというのは、

不快だし、苦しいけど、

それでいて恍惚感があるんです。

心底ぞくぞくするような種類の快感っていうのは、

ネガティブなもののうちにあるんじゃないか

そう思ってしまうくらいで。

だから書くのってやめられない、

僕にとってそういうものなんですよね、

詩って。


自由詩 告白 Copyright 三田九郎 2012-10-22 22:15:15
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