現代心経(編集中)
2012
何かよくわかんないけど、自分よりレベルの高い人にはとりあえずリスペクトしときます。
自分の人生に真剣に向き合っていたとある高僧(やらない夫)は、
自分なりの知恵を完成させようとしていろいろやっていた時に次のことを見極めました。
それは、世の中のものには五つの構成要素があるということでした。
しかもその高僧(やらない夫)は、それらの構成要素も突き詰めて考えれば実体のないもの、かりそめのものだということを見抜きました。
/ ̄高僧 ̄\
/ _ノ \ エロ本でも買うか...
| ( ●)(●)
| (__人__)
| ` ⌒´ノ
| }
. ヽ }
ヽ ノ
/ く \
| \ \
| |ヽ、二⌒)、
----------------------(以下、高僧の語り・・)
やる夫よ、
この世の中では物質的現象には実体がないのであり、
実体がないからこそ、物質的現象というものが成り立つのである。
実体がないからといっても、世の中の現象はどこまでも物質的現象である。
また、物質的現象は実体がないということと不可分のものだ。
くどいようだが、およそ物質的現象というのは全て実体がないということだ。
実体がないということは、それは物質的現象だと言ってもいいかもしれない。
そして我々は物質で構成されている。
感覚も表象も、意志も知識も、我々は足のつま先から頭のてっぺんまで実はかりそめのものなのだ。
やる夫よ、
こら、話を聞け。
この世においては、全ての存在には実体がないという特性がある。
生じるとは錯覚であり、滅するということもまた錯覚である。
汚れるという概念も人間の勝ってな思い込みであり、清らかという概念もまた勝ってな思い込みなのだ。
増えた減ったで一喜一憂している間は夢を見ているのだ。
それは楽しいかもしれないが、どうしようもなく、つまらないものでもある。
それゆえに、やる夫よ、
いい加減話を聞け。
実体がないという観点から考えると、物質的現象というものは極端な話、存在しないと見ても良い。
感覚も表象も、意志も、知識も存在しない。
眼も耳も、鼻も舌も身体も無く、心も無い。
形、声、香り、味も、触ることのできる何物も無い。
心の対象など、この世の中のどこにもありはしない。
身体感覚の隅々から意識の最奥に至るまでことごとく無いものと見て良い。
しかし、私はこの事実を以ってこの世が嘘っぱちのものだとか虚無だとかいうつもりは毛頭ない。
実体のないことこそが、この世の本当のことなのだ。
それは別に良いとか悪いとかいうレベルの話ではない。
悟りが無ければ迷いも無い。同時に、悟りが無くなるわけでも無ければ、
迷いが無くなるわけでも無い。
そして遂に、老いも死もなく、老いと死がなくなることも無いという事実を認識する。
苦しみも苦しみの原因も実体が無いわけで、実在しない苦しみを制することは出来きない。
実在しない苦しみを制する道もまた、無い。
知るべきことなど何一つ無く、得るべきものも皆無だ。
それ故に、そもそも何かを得る必要がないのだから、世の中に沢山いる立派な人々、
自分の人生に真剣に向き合っている人々、わかっている人々が、
それぞれの智慧の完成に合わせて成果物をリリースしてくれているので、私たちは何の心配もなく
のほほんと暮らしていられている。
何も心配することがないから、恐れを知らず、誤謬だらけの認識から遠く離れて、
永遠にも似た安らぎの中にいるのである。
過去・現在・未来の三世界にいる目覚めている人々は、全て智慧の完成のおかげで
この上なく正しい目覚めを悟り得ることが出来た。
それ故に人々は知るべきであるのだ。
智慧が完成したことを告げる、大いなる真言、大いなる悟りの真言。
無上の真言、無比の真言は、全ての苦しみを静めるものであり、偽りがないから真実であると。
その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。
溶け合うものよ、溶け合うものよ、この世と溶け合うものよ、この世とあの世の全てに溶け合うものよ、悟りよ、幸あれ
ここに、智慧の完成の心を終わる。
-----------------------------(以上、高僧の語り・・)
/ やる夫 \ (チッ、セッキョーか・・)
/ ─ ─\ そういうのいらないです。 キリッ
/ (●) (●) \
| (__人__) |
\ ` ⌒´ /
,,.....イ.ヽヽ、___ ーーノ゙-、.
| '; \_____ ノ.| ヽ i
| \/゙(__)\,| i |
> ヽ. ハ | ||