夢を描く
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 私が文章を書くようになったきっかけは、夢を描写することであった。
 人は、一日に八時間眠るとして、人生の三分の一を眠って過ごすわけだが、その眠っている間、大抵は夢を見る。私の場合、
「ああ、面白い夢をみたな」
 と思っても、朝、起きて数分たつと、その内容がぼんやりしてしまい、数時間経つと、キレイさっぱり忘れてしまう。
 また、不思議なもので、放心している時など、なんの前ぶれもなく、数年前に見た夢が鮮明に甦ってくることがある。あれはちょっと怖い。
 ともあれ夢とは、まごうことなき、私のもうひとつの人生である。消滅させてしまうのは、もったいない。
 パソコンが部屋に来た頃、私は眠る前に、枕元にメモ用紙と鉛筆を置き、朝目覚めて、まだ夢の残像が色濃く残っているうちに二、三のキイワードをメモ用紙に書付け、夜、職場から戻ると、パソコンで、そのキイワードを元に、こんな風に打ち込んでみるのだった。

〈私は路地裏へ迷いこんでしまった。
 細い道が碁盤の目ように走っていて、古い民家が立ち並んでいる。交差点を渡ろうとしたそのとき、大きな魚が視界の右から現れた。私は電柱の陰に隠れ、魚は私に気づくことなく、ゆっくり視界の左端へ消えた。電柱から首だけだして魚の往った方角を確認してみる。鯉幟のようなその魚は、私のいる地点から3ブロックほどさきの民家の前でじっと動かずにいる。尾びれと胸びれがゆっくり空気を掻いている。見てはいけない。強くそう思い、私は魚が往った反対の方向へ歩いて行く。
 ある民家の格子戸を開けてみると、上がりかまちに男が座っていて、テレビ局に勤めていそうな風体である。ネクタイをしないサラリーマンのようなこの男に、大きな魚がすぐそこにいることを告げる。しかし男はにやにや笑うばかりで、何でもないことじゃないか、とでも言いた気である。私は諦めて玄関を出た。魚に気づかれぬよう慎重に格子戸を閉める。
 抜き足差し足で路地裏から大通りにでた。大通りを横ぎると、埋立地のように殺風景な原っぱが広がっていて、ススキや泡立ち草が生い茂る中に、外壁がくすんだ灰色の倉庫のような建物がぽつんと一棟だけ在る。中に入り、階段を最上階まで登ると、そこは何故か病室になっていて、私が常日ごろから死んでほしいと願う女がベッドに横たわっていた。
 ベッドの脇の椅子に座り、私は女と言葉を交わす。釣師が海底に沈めた仕掛けを探るように、慎重に言葉を選びながら、私は女を観察する。女の青くむくんだ顔を見て、この女はもうすぐ死ぬと確信する。私は嬉しくて堪らない〉

 あるいは、こんな風に、

〈私は、夜の漁港をさまよい歩いている。船着場には、数えきれぬほどの漁船が停泊し、夜の波に揺られ、互いに擦れあい、軋んだ音を発している。青魚の臓物のにおいが鼻につくが、漁港なのだからしかたがない。私は夜釣をするためにここに来たらしい。歩き回っているのは、竿をだすのに適当な処を捜しているはずなのだが、どういうわけか、私は手漕ぎの小舟で沖にでてきてしまった。リズムカルにオールを操り、これ以上先はない処まで小舟を漕いできた。見上げると満天の星々。海面は月明かりに照らされて光っている。まるで銀塊を粉状に砕きばら撒いたようだ。私は深夜の大海原の真々中で、誰かと交信している。話しているのではなく、交信しているのだ。海面からカツオのような魚が顔を出し、私を見ている。私の交信相手は、あの魚であるらしい。私たちは、何かとても大切なことについて、テレパシーで交信しているようだ。なぜならあやつは魚のくせに目玉をまっすぐに私に向けていたから。魚ごときに言い負かされそうになった私は、だんだん腹が立ってきた。私はその魚を小舟の上に引っぱりあげ、びくびく動くえらぶたあたりをがっちり押さえこみ、包丁でカレーをつくるときの玉ねぎのように、細かく切り刻み、海面にばら撒いてしまった。すると、きらきら光っていた海面は、灰褐色ににごり始め、どこからか終末感を起想させる音楽が響き始めた。荘厳、といってよい調べに暫らく身をゆだね、私は小舟の上でじっと動かずにいる〉

 そして、こういったものを、2ちゃんねるの文学板に『ビヨンド漱石、夢十一夜』と題したスレッドを立て、書き込んでいたのだった。
 すると、創作文芸板から来た或るコテハンが、
「こっちにも遊びに来てみませんか?」
 と私を誘ってくれるレスを付けてくれたのである。
 創作文芸板に行ってみると、文章投稿サイトなるものが活発で、皆、思い思いの小説を投稿し、批評し合っていた。 
 私は驚愕した。いったい、小説などというものを、素人が書いてよいものなのだろうか。ああいうものは、感性が鋭角的な者、言い換えれば神に選ばれし者たちの特権なのではないのだろうか。
 ところが、投稿されたものを読んでみると、根がお調子者の私は、
「これなら自分にも出来そうだ」
 などと考えてしまったのである。
 それが、私が小説を書くきっかけであった。私は上記の夢描写をフィーチャーした作品を書き上げ、おずおずと投稿してみた。いくつかの好意的な批評と、否定的な感想が付き、私は興奮した。
「これは凄いぞ。新しい遊びを発見したぞ」
 それが四十代の始めであった。
 以来、十余年、競作祭りで優勝したり、書けない時期が数年続いたりしながら現在に至るわけだが、書き続ける理由は、特にない。強いて云うなら、老後の手慰み、として考えている。この十年はあっという間であった。次の十年はもっと早いであろう。すぐにお爺である。家族を持たぬ主義の私は、魚釣りや盆栽を趣味にする老人のように、創作文芸を趣味にして、孤独を紛らわしたいのである。
 もちろん、公募へ応募する野心もある。どうせやるなら、上手くなりたい。しかし、そのためには百枚のボリュームの作品をモノにしなければならない。これまでに私の書いた最長のモノは二十八枚である。十年やっても、百枚への緒口が見つからないとは、情けない話だが、私はまだ諦めてはいない。
 今、数年に及ぶ、書けない時期から脱却しかかっている私の神経は、テンションが上がっているようだ。もしかすると、出来もしないことを綴っているのかもしれない。それならそれで良し。
 私の新しい旅は、今、始まったばかりなのだから。


散文(批評随筆小説等) 夢を描く Copyright MOJO 2012-10-09 15:29:05
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