ぼくは、死ぬのが怖い。 —MeMento Mori—
多木元 K次

ぼくは、死ぬのが怖い。
ぼくらは、知っている。
十分なだけの知識を得ている。
ぼくが死んだら、
酸素原子と、
炭素原子と、
水素原子の群れになる。
有機物の末路はいつだってそうだ。
人間だって、例外ではない。
記憶を構成していたシナプスも、
蒸発して元素の仕組みに紛れ込む。

ぼくは死ぬのが怖い。
かつてぼくだった元素が集合して
足元で裏返ったまま潰れている虫になるのが怖い。
レストランのディナーの中央に居座る鳥になるのが怖い。
風にそよぐだけの草になるのが怖い。
数億年を呼吸もせずに待つ岩になるのが怖い。
ぼくらは、この地球の上で、支配者になったつもりでいる。
自分の都合で随分とこき使っている。
それを知っているから、自然に還るのが怖いのかもしれない。

ぼくは、死ぬのが怖い。
ぼくの親しい人が死ぬなんて、考えただけで吐きそうだ。
だから、ぼくらは墓をたてる。
花を供え、線香をたてて、親しい人は「どこか遠くへ」
いったのだと思い込む。
あの人は天国に行ったんだ、
昨日ぼくが食った牛肉は、
ぼくが潰した蝿は、
視界を濡らした雨だれは、
どこかの業者が運んでいく生コンは、
排気ガスは、
あの人じゃないじゃないじゃないじゃないじゃない。
ぼくは眼をつぶり、
「お元気ですか、
ぼくは元気です。」
ぼくはあの人が 彼 のうたった千年王国で暮らしていると考えなければ、
そしてぼくが死んだあともどこか遠くへ生まれ変わるのだと思わなければ、
立つことすらままならない。
眼を開けた途端、
ぼくは本質的に孤独であることに気づく。
ぼくは死ぬのが怖い。
怖くてたまらない。

でも、死ぬことを恐れていては何もできないと知っている。
時間は無為に流れ、やがてぼくも無機物にならねばならない。
これはそう遠くない日の真実だ。
だから、ぼくらは恋をして、
仕事をして、友達と酒を飲み、
夜、夢をみる。
ぼくは死ぬのが怖い。
だから、毎日を無駄にするのが怖い。
でも、それは死ぬのよりはずっとましだ。
ぼくは自分を騙すことができる。
ぼくは死ぬのが怖い。
死にたくない。
死にたくない。
でも、やがてぼくも死ぬのだ。
それは、誰もが知っていること。
では、ぼくはしばし、やがてぼくも死ぬということを忘れよう。
麻酔に酔っていなければ、
ぼくは痛みに耐えきれない。
眠ることすらままならない。
ならば忘れよう。
あるいは、嘘を信じよう。
それが、ぼくらに供せられた数少ない処方箋だというのなら。
そう言い聞かせてぼくは寝床に収まる。
心には雪が降り積もる。
雪は肢体に降り積もり、
その存在を隠していく。
やがて、それは覆い尽くされ、見えなくなる。
見えなくなる、見えなく。
(ぼくは雪が降り積もったことを、きっと忘れることが出来ないだろう)


自由詩 ぼくは、死ぬのが怖い。 —MeMento Mori— Copyright 多木元 K次 2012-09-24 00:55:37
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