いろいろな感じについて
はるな

空がすこんと抜けそこから夏と秋とが入れかわって鱗雲。日差しはどことなく丸っこくなって色もなんとなく赤っぽい、カーテンにハンガーのかげがうつっている、それとそれに吊るされている布たちと。
ここはほとんど幸福そのものだし、それは、絶望だ。
髪を伸ばした方が良いよと言ったのはどの人だったか、どの人もだったかもしれない、たとえば今までに寝たひとの数を思い出そうとしてみてわからなかったり、情熱のゆくえだったり、次々に妊娠していった女の子たちとか、牛乳の値上がりとか、母からの電話とか。髪を伸ばした方が良いよと言われて伸ばし始めて、でも、誰だったか。誰に、伸びたよと言えばよいのだったか。

わたしに言葉を教えたのはいったい何なのか。言葉っていったい何なのか。誰っていったい誰なのか?わたしがわたしであることしかわからないよな、ぐらぐら沸き立つ夕げをまえに、夫の顔をじいっと見ているとあなたって誰、何なの、なんでわたしと暮らしているの。と泣いたり、笑ったりしているうちにスパゲッティがどろどろに。
世界はもともと境界だらけで、それはほんとに自然のことで、でもそれについて考えだすとなんにも自然にはこばない。わたしの境界が機能していない、速すぎたり遅すぎたりして全然使いものにならない。苦しい、それは、ほんとうのことじゃない。
言葉め、寝返りやがって、と、よく思う。
ちょっと、こちらに気をゆるしてかわいいやつめと思った次の一瞬に見えなくなって、にくい。

頭のなかに触れない部分があって、それがこわい。場所がわかっているのにどうしても行くことができない場所みたいな感じで、行ったことないし見たことないけどあるからこわい。それが増えたり消えたりして、でも知ってる。
文章なんて書きたくないし書けないやと思う。絵を描きはじめてもぜんぜん描きたくないし描けないと思う。音楽を聴こうと思ってえらびはじめてなんにも聞きたくないし聞けないと思う。でも書いていて、描きはじめてやめて描いてるしかたっぱしからCDをセットして聞いてはストップ。書きたくないし、書けないやと思うし、なんにもしたくないなと思っている、そういうときほど、頭のなかに触れない部分があって、そこが、つるつるに膨らんで、ぶよぶよと、動くのを感じる。
それは息を吸うのも吐くのも苦しくて死にたくない感じがする。

いったいなんなのか、と思って、立っていると、すぐそこの蛇口が、徒競走のときのゴールらへんにあるように、きみょうに遠く感じで、それで視線を揺らせば、ぐんと近くに来たりして、親愛なる感じ。時間も、それに近くて、さっきと、今を、結ぶのが変なかんじ。それぞればらばらにあるものを、ばらばらに体験しているような感じ。繋がっていなくて、たとえば、アニメーションじゃなくて紙芝居みたいな感じ。

なんでここにいるのかとか、わからないし、それでいいなと思うとき幸せ。
なんでここにいるのかとか、そういうのをわかろうとする人とか、わかりながら居る人は、なんとなく立派な感じがして、すごいなー。いろんな人がいて、いろんなことを言って、あまつさえ詩を書いたりなんかしてるので、しばしば気持が悪くなってしまう。何にかというと、わたしもその気持ち悪さを構成している一粒なのだなというところ。
今までものを作ることに関して、感心してしまう考えを持ったひとには二人会いました。一人は、誉められたくてやっている、というので、もう一人は、美しいことは良いことだから、というの。
わたしはその二人の考えを思い出すたび、泣いちゃいそう。二人とも、きれいな骨が透けてみえるみたいに、すっきりしていた。わたしは、わからないし、色いろあるけど、わからなくてもいいやと思うときが幸せ。



散文(批評随筆小説等) いろいろな感じについて Copyright はるな 2012-09-21 15:24:30
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