銀塩写真
そらの珊瑚
古いフィルムネガ
光にかざせば
見知らぬような
女
ああ 確かに私だろう
こびと専用の夜行列車の小窓の中で
かすかに笑っているようだが
それは条件反射の類だろう
本当に可笑しい時は
こんな風に大人しく切り取られはしないものだ
レントゲン写真みたいに
病巣が現われてやしないか
ほら
この白く映っているところがですね
悪いところなんです
カタチあるものは感光され
まるで
無機質な見取り図になる
写真工場から流れてきた汚水が水路をひっそりと流れると、ラムネ菓子を包んでいるセロファンが溶け出したような色とともに、酸っぱい匂いがたちこめて、今思えばあれは毒であったのだけれど、奇妙なその匂いがなぜか嫌いではなく、友達が秘密基地と名付けた秘密でもなんでもない空き地へ、渋柿しか実らせないという古いポリシーを持つ岩のような肌をした柿の木の下にしつらえたダンボールで作ったおそまつな隠れ家で飼っていた捨て猫、冷酷な祖母は目の開かないうちに川にうっちゃってこいと言い放ったが、たぶんその時人を憎むということを生まれて初めて体験したのかもしれず、そのくせ反発する言葉さえ持たず、まさかそれを実行できるはずもなく(時に名前をつけずに「猫ちゃん」と呼んでいたのは、冬生まれの宿命である短いノラの命を予感していたわけではないけれど、飼い猫に出来ないという大人の道理を受け入れるしかない子供なりのけじめだったのかもしれない)と遊ぼうと駆けていったあとも、今しがた絞ったばかりの山羊の乳の入ったほのあたたかいコップを手にして、立ち去るのが惜しいものでもあるかのように、ほんの少し陶酔気味にしばらくその匂いを嗅ぎ続けているうちに、ぼやけた真実というものがいくらか焦点が合っていき、明日が来るのかななどと考えていた。
実はあの匂いは羊水のそれによく似ている
胎児は
百倍に薄められた酢酸に
漂う一枚のネガフィルムが
立体現像されたに過ぎぬ
男
ドクターと呼ばれる種類の
男
もまた知らず知らずのうちに
毒に蝕まれていて
そのせいか複眼となっていたため
シャッターを押すまで
長いこと
カメラのあちらこちらを操作して
思い悩んでいるうち
もう写すべき被写体自体が
風化の末に粒子になってしまったことに
今
ようやく気づいたのだった