伝説のおじい
salco
パラダイス通信
ジンソーさんの父は曾孫達に
おさわがせおじいと呼ばれていた
八十過ぎての夫婦げんかで
スロー脱兎のばあさんを
スロー猛追し
通報で駆けつけた長男夫婦に
あぜ道で止められた
血気盛んなじいさんだった
十六で十八のおじいに嫁いだ
若かりしおばあは大変な美人で
花は高嶺で落とすべし
という哲学を信奉し
かつ実践した尋常小卒のおじいは
アメリカ移民初の弁護士になり
夜の帝王とも呼ばれた名士の
帰朝講演会を聴きに行って夫人を見
わざわざ米国まで行ってあんなブスを貰ったのかと
わりと大声で言った
麻の背広にパナマハット
同郷のひと旗に憧れやまず
畑を売ってミンダナオへ
目途がつくと家族を呼び寄せ
ヤシの実で焼酎を作る研究に勤しんだ
と戦前を豪語していたが
それは隣のヤマトんちゅーの話で
飲みたくて入り浸っていたのだと
そんな嘘がばれるごとに
孫達の白眼視は増えて行った
本当はささやかな雑貨店を営み
女房に任せてほっつき歩いていた
戦局が悪化していたある日
帰るや
すぐに荷物をまとめろと命じた
毎度の気まぐれにおばあは抗弁するが
今日は血相を変えて譲らない
学校から帰った子供達に手伝わせ
リヤカーに積めるだけ積んで出た
町外れの橋を渡っている時
米軍機が三菱の工場に爆弾を落とした
近くの店も木端微塵
山越えの道は避難民でごった返す
列に従う家族におじいは怒鳴った
「そっちに行って食い物はどうする」
担げるだけの荷物を担ぎ
一家だけが道を逸れた
ジャングルの勾配をしばらく行くと
日本兵の死体が転がっていた
「武器を取って来い」
息子達に命じた
それで鳥や猿を撃ち落とし
一家六人は食いつないだ
米軍の収容所に落ちのびた時
通訳を連れた軍医がやって来て
何故お前達は太っているのかと訊いた
戦後はまた沖縄に
移民に出た同郷は親や子や兄弟姉妹
誰かしら親族を失っていて
おじいの家は一名も欠けていなかった
それを寿ぎ記念して
屋号は以後フィリピン屋ぁとなった
だが田畑はもうない
おじいはまた商売を
今度は売る物も買える人もなく
家族は辛酸を舐め直す
昭和天皇と同い年で
崩御の報に
「勝った」
壁に飾った座右の銘は
「自心の外に浄土なし」
そんなわけで同郷には一目置かれ
親族には何かと煙たがられて
九十五まで生き、死んだ
おばあは九十七まで生き、死んだ