真夏の雪、地蔵骨峠の夢
はるな

真夏だが雪の降る日である。こんな日に足湯へゆこうと誰ともなく言い出すのはしごく真っ当、ふだんは気難しい祖母までもが電話を寄越して「足湯かねこんな日は」とめずらしく意見をそろえてきている。
「冬の靴下はまだまだ底にあるわね」
朝いちばんに起きだして、母は靴下を探すために床を剥がしている。妹が免許証を胸のポケットへ入れ、姉が仕事を休むために電話をかけている。
「お前、用意はいいのか」
あかるい黄色のアロハシャツを着た父がそわそわと話しかけてくる。うわの空の私の理由は、はるか遠い場所にありちらちらと見え隠れしている。
「夫を呼んでから合流しようかしら」
と言うと、父親がにやりと笑って「じつはもう連絡がついている。今向っているそうだよ」。
絶望的な気持の理由は、つまり、私の逢瀬の日だからだ。こんななかでは伝書鳩を放つ隙さえない。雪はおそろしい速度で降り積もる。
「あらあらもう到着」
母が言い、庭へ出ると、ものものしいチェーンを付けたみなれた車が庭へ入ってくる。
「そこにはすずらんが植わっているのに!」
私が悲痛な声を漏らすと、
「構やしないわ。夏の雪ですもの!」と姉と妹が声をそろえる。
「よくわかっているな」と父が満足そうに頷き、一人取り残された気持のまま靴を履く。
と、車から降りた夫が
「ハイ・ヒールを履きなさい。」
と言う。
「歩きにくいわ」
「履きなさい。」
「雪が降っているのよ」
「ハイ・ヒールを履くか、さもなくば、何も履いてはならない。」
険悪な雰囲気を取り払うように、
「さあ、真夏の雪だよ!」
祖母が割って入って、そうして、わたしは素足にハイヒールを、わたしの家族たちはみな冬用の靴下とブーツを履き、車へ乗りこむ。

地蔵骨峠のふもとは、真夏の雪の日にだけ盛り上がる。
ひと夏に一度あるかないかの出番を待っている人々がいっせいに騒ぎ出すからだ。水着のような服を着て、おでんやきつねうどんを売り歩く。
「雑誌にのっていたお店よ」
と母が指差すあばらのような汚らしいそこはうどん屋で、けれどたしかに周りの店と比べてひときわ人だかりが厚く、繁盛している。
「せっかくだから食べていきましょう」母が言えば、「そうすべきだろうな。」と父が威厳たっぷりにうなずく。車から降りるときに夫が手を差し伸べてくれたが、すんでのところで間に合わず、隙間へすべりこんでしまった。夫も、祖母も、父も母も姉も妹も気づかず、うどん屋へ入っていく。
いましかない。そう思って、走り始めた。
地蔵骨まで登り切れば、何とかなるだろう。
父の黄色いアロハが、だんだんと遠ざかってゆく。

真夏の雪はべたべたと重たく、一歩踏み出すごとにべしゃべしゃと飛び散る。足はあっという間に赤々に霜焼けて、痛みを通り過ぎた。丁度良いので、ハイヒールは脱ぎ捨て、ガードレールに引っ掛けておいた。よっぽどそれは、わたしの足より似合いの光景だろう。
そして、地蔵骨の入り口へきてふりかえってみれば、遠く遠くのふもとのほうに、逢瀬の相手を見つけるのだった。
「そっちだったの・・」
がっくり肩を落としていると、背後から下足番がやってきて
「あんまり落込みすぎると帰れなくなるよ。」
と腰をさすってくれる。
「足湯入っていきなさいよ。」
言われるがまま感覚のなくなった足を湯に入れれば薄皮が剥けるように皮膚がはがれてゆく。
「剥がれてしまうんですが。」不安になり尋ねると
「剥がれてゆくのはいらないものだけだよ。」と動じない様子。
それでもやはり恐ろしくなり引き上げてみると、あるのはつるりと新しいプラスチックのような球体であった。
「指が。」
「なんぼでも生えてきますよ。もし必要ならね。」
はあ、そういうものですかと球体をさすっているとたしかに心なし見たことのあるような指のかたちをなしてゆく。あ、と思ったのも束の間本堂に火の手。
真っ白な雪景色の中に燃え盛るお堂の赤、それはあれだ、ついさっきまで雪を踏み踏み走っていた真っ赤な私の足によく似ていた。
「消します。」
断固とした気持で宣言した。
「消し始めるならね、最後までやらないと、帰られないからね。」
下足番は長い長いホースを手繰りながら独り言のようにつぶやく。

炎というものは思っているのよりも何倍もはげしく速い。そして熱い。じょじょにじょじょに、押されるようにして地蔵骨の峠を後退してゆく。
途中のうどん屋もみな火のなかへいってしまった。家族や夫のすがたは見えなかったから、きっと早くに気づいてどこかへ避難したのだろう。
じりじりと、そして、駅の広場前まで来てしまう。
「あっこの菓子屋のビルだけは燃してしまったらあかん。」
人々が後ろで勝手なことを言う。たしかに菓子屋は「このへんの経済潤した」「あっこができてまたちゃんとご飯食べれる」とか言われているが、月夜の晩にふやかした違法な豆を使っていることだってみんなちゃんと知っている。知ったうえで生きていくための菓子屋なのだ。
勝手なことを、勝手なことをと憤りながらもやっと衰えてきた炎へ、これでもかこれでもかと水と雪とを交互にかけ続けていると、生き物が息絶えるようにふらふらと頼りのなくなった炎のなかにぼんやりと彼がうつっている。
そんなはずはないと思う、背後から家族と夫が私を励ましている。「うちの娘です!」「そして僕の女房です!」炎はまだ消えきらないのに、胴上げの準備をみんながはじめている。
勝手なことを、勝手なことを、そんなはずはないのに。思いながら、ふと凍える手に気づく。地蔵骨からつめたい水を触り続けてきた素手はぱんぱんにひび割れて凍ってしまった。

最後までやらないと、帰られないからね。

下足番の声が真上から響いてくるが、凍えた掌を目のまえの炎で温めてやりたくてしようがない。













(という夢を見たのが昨日)。


散文(批評随筆小説等) 真夏の雪、地蔵骨峠の夢 Copyright はるな 2012-09-04 23:23:15
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