木屋 亞万

ふりかえると夏がいた
透きとおる肌
後ろの道が透けて見えた
ほほえむ顔がうつむいて
夕陽から漂う風を浴びた横顔は
もう夏ではなかった
私の知る夏は消えていく
知らない存在に変わってしまう

朝になってまたいつもの夏になっても
少しずつ秋に移ろってしまうのだ
雲が膨らみすぎて立てなくなり
横たわってなお醜悪な成長を続ける
その中で熱風と冷気が踊り狂っても
夏を引き止めることはできない
その存在をすんなり次へ譲ってしまう

夏は恋人だった
秋になればもう母の顔
私のほうを見ていない
その眼は産み育てる親の光に満ちていく
凍てつく風がその身体を再び変えてしまっても
種子が耐え抜けるよう保護することに
その存在を貫いていく

再び春が来たら
見たこともないあたらしい命になって
いつもと同じように「はじめまして」と言うのだ
月日が過ぎるのが早く感じるということは
季節との別れに慣れてしまうということだ
一年で終わってしまう季節の成長と死を
何の悲しみも喜びもなく無視できてしまうということ

春はかわいい花娘
夏はいとしい想い人
秋はほほえむ母の顔
冬はきえゆく祖母の骨
ひとりの女として一年が過ぎていく

夏が終わると
季節の姿は否応無く衰えていく
彼女はとても幸せそうに微笑んで
その裏側で気候を荒らす
穏やかなだけでは日々は過ぎ行かない
隠し切れない葛藤が
雨に風に日照りになって降り注ぐ

その中で私は時に成長し
時に衰えてゆくが
一年の移ろいの速度に勝るものではない

夏は私を包み込み
もうすこし恋人のままでいてくれる
いつまで夏は夏なのだろう

夏が終わってしまう

私と夏が終わってしまう
その次に何が待っていたとしても
あとのまつりのみずたまり


自由詩Copyright 木屋 亞万 2012-09-01 21:20:53
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