ファンタオレンジ
永乃ゆち

――――夏の初めだった――――


おばあちゃんが他界した。

おばあちゃんは、どこにでもいるような

ごくごく普通の田舎のおばあちゃんで

真面目で頑固で亭主関白な大正生まれのおじいちゃんを

献身的に支えていた。

ように見せかけて手を抜くところは要領よく手を抜いて

よく愚痴り、おじいちゃんに隠れて死ぬまで煙草を吸っていた。



おばあちゃんは元々、血の止まらない病気で

滑って転んでテーブルの角に頭をぶつけ

それによって脳内出血し、それが致命傷で亡くなった。


幾つもの細いチューブに繋がれたおばあちゃんを

お見舞いに行った時には

当時13歳だった私は

声も出せなくて、必死で泣くのを堪えるのが精一杯だった。

お母さんが

「ほら、ゆち、『おばあちゃん、ゆちだよ。分かる?』って話しかけて」

と言ったが、とても話しかけられなかった。

おばあちゃんは、私の事も、お母さんの事も分からなくなっていた。



何十年も連れ添ったおじいちゃんの事も。



おばあちゃんは、暴れてチューブを抜こうとするので

手足をベッドに縛られていた。



「なんでこんなに縛られなきゃいけねぇんだ。

おら、何も悪いこたぁしてねぇぞ。」

としきりに言っていたそうだ。



最後におばあちゃんを看取ったのは

お母さんだった。

「ファンタオレンジが飲みたい」

と何度も言っていたらしくて

「死んでしまうのだったら、いっそ飲ませてやればよかった。」

とぽつりと言った。



13歳の私は、おばあちゃんっ子だったのもあって

悲しくて悲しくて、わんわん泣いた。

遠くに住んでいて、年に1週間程度お盆にしか

会えなかったけれど、大好きだった。



お葬式には、私は出なかった。

おばあちゃんの最期の姿を見たいとも思ったけれど

見たくないとも思った。


あれからもう25年が経つ。

一昨年おじいちゃんが亡くなった。

認知症になり、衰弱し、最期は肺炎で亡くなった。


やっと、おばあちゃんと一緒に居られる。

悲しかったけど、天国でまた夫婦揃って過ごす事が出来るのなら

それは良い事のように思えた。

まぁ、またおばあちゃんはおじいちゃんに隠れて

煙草を吸わなきゃいけなくなったんだけど。



お墓参りには、ファンタオレンジを必ず持って行く。

おばあちゃんが飲みたがってた、ファンタオレンジ。

一昨年からはそれに加えて、天国でこっそり吸えるように煙草も。

おじいちゃんと一緒にお墓参りに行く時には

煙草は供えられなかったからね。



今、夏が終わろうとしている。

おばあちゃんとの思い出は夏の思い出だ。

夏が過ぎてゆくのは

おばあちゃんがまた遠くに行ってしまうようで

毎年

やっぱり

寂しい。


生き物は、いつか終わりを迎える。

いろんな形で終わりを迎える。

おばあちゃんが幸せだったかどうかは

おばあちゃんにしか分からない。

けれど、私が今、元気に生きて、泣いたり笑ったりしてるのを

天国から見ていてくれるのなら

おばあちゃんに心配はかけたくないなと思う。



私は100歳まで生きて妖怪になるのが夢だから

天国へは行けないかもしれないけれど

いつかおばあちゃんと一緒に

煙草を吸いながらファンタオレンジを飲みたいと思う。




――――もうじき、夏が終わる――――


自由詩 ファンタオレンジ Copyright 永乃ゆち 2012-08-28 21:26:47
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