海の記憶とコーヒーと
深水遊脚

きっかけは女の子がいれた一杯のコーヒーだった

「エスプレッソが苦いって誰が決めたの?」
その余韻は記憶となり小生意気な声で
私を侵食して何かを変えた
その時感じたフルーツのような新鮮な酸味を
自分でも作り出したくて買い求めた
コスタリカ エルジャーノ ハイロースト

想像していた通り
木の実をついばむ小鳥が
きっと味わっているであろう酸い味がした
ミルクパンで氷風呂を作り
木の実の味のコーヒーを注いだカップを浸けて冷やした
夏っぽいコーヒーを誰かと飲んだならば
「アイスコーヒーが苦いって誰が決めたの?」
そんな声ひとつ投げてみようか


詩のふりをした言葉が
コーヒーの周りのあれこれを汚してやしないか
味が言葉を生むのが本当なのに
言葉が味を縛ってやしないか
言葉がはじめに来るなら
味を広げてやらなきゃいけない
たとえばこんな風に


  コーヒーの味の中には
  その銘柄を問わず海の記憶が含まれているように感じる
  潮の香りに似ているからだろうか(※)


海沿いに住んでいた時
潮風をたくさん吸ってベトベトになった鼻や口が感じた味は
苦かったかも知れない 酸っぱかったかも知れない
生物としては本来避けるはずの苦味や酸味を
不自然にも手間ひまかけて味わうもの といわれるコーヒー
実はそうでもないのではないか
潮に包まれていた原初の生物だった頃の記憶を
呼び覚ます味がどこかにある
そのとき感じたにおいもきっと

酸いエスプレッソに出会って
酸いアイスコーヒーを作って
少しでも近付けただろうか
遠い昔に私を包んでいた水の味
近い昔に私が感じていた港のにおい



(※)この言葉はコーヒースレッド68番、番田さんの書き込みです。
http://po-m.com/forum/thres.php?did=254725&did2=68

 最初はコーヒーが山間で栽培されている事実にとらわれてこの言葉の
 魅力がわかりませんでした。でもこの言葉がコーヒーの味を広げる
 ものだということが、徐々に感じられて来ました。コーヒーの味に
 ついてのいくつかの驚きや発見とも融合し、この作品が生まれました。
 あくまで私の理解であり、番田さんの発言の意図はまた違うところに
 あるかもしれません。でもこの言葉と出会えて嬉しかったです。


自由詩 海の記憶とコーヒーと Copyright 深水遊脚 2012-08-24 18:55:32
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コーヒー・アンソロジー