漏れが美少年だった日々(対アトピー戦記)
虹村 凌

詳しく書き始めたい。

自分の体に異変が起きたのは、高校2年の頃である。
自分は剣道部員で、それは真面目な部員であった。(その時はねw
しかし、小休止の時に面を外すと、頭皮が痒い。たまらん。
映画「金田一(トヨエツのやつ)」みたいに頭を掻きまくる。
…隣座ってた奴は、嫌だったろうなぁ。すまんね。

その頃は、異様に頭が痒いだけで済んでいた。
色々とシャンプゥを試してはみたが、いまいち効果は無い。
そんな時である、目の上に異変が起きたのは。

何が原因か。眉毛剃ってた(整えてた)のが原因か。
小さく膿む。体液が滲む。腫れる。
「誡君ボクサー疑惑」になる。
そんなヒマあるかぃ、バカちんが。
俺は、それで済むと思ってたんだけど。

済まなかった。終わらなかった。
高校3年になると、肘や膝の裏…つまり柔らかい部分に転移(って言うのか?)。
痒いんだ、激烈に。どうしようもなく痒い。
掻くわな。これで広がるのよ、範囲が。
でも、痒いのさ。


俺、酷かった時期に思ったんだけど、
人間って「痒さ」だけには耐性無いんじゃないかな。
痛いのも、ある程度は我慢できるし、くすぐったいのも出来る。
根性焼きあるくらいだから、熱いのもある程度は平気。
だけど、痒いのって、人間はどんな小さな痒みでも耐えられないんじゃないかな?


起きてる時なら、ある程度は痒いのを我慢できる。(無理矢理だけど。
すごくイライラする。痒いんだもん。
問題は寝てる時なのだ。
これは制限の仕様が無い。意識が無い。無理できない。
痒いと思ったら掻くのだ。
どうするか?俺はこうした。

先ず、おもちゃの手錠(金属製。何故かあった)で利き手を繋ぐ。
…あんまり効き目無し。寝苦しいだけだった。

次に試したのは、手袋。
しかも普通の手袋じゃないんだ。軍足って知ってっか?
寝るときに履くんだが、5本の指がついてる奇妙な靴下だ。
これを手にはめる。指部分が短いので、思うように動かない。
しかも靴下、肘まであるので中々外れない。

これはそれなりに効果があった。
しかし、それもある程度でしかない。
結局は、酷くなっていくしかないのだった。

酷い時の状態は、本当に酷い。
剥がれきらない角質や、渇いた体液が何重にも層を成し、
それがまるで段々畑にように、顔中に凸凹を形成している。
よく、俺もそのツラで学校に行ったもんだ。
よっぽど友人を信用し、好きだったのだと思える。
同学年の奴は、俺のツラを知っていたが、
部の後輩(この時期は既に引退していた)は、気づかなかったりする。

友達の手前、陽気に振舞う。
友人も、俺のツラについては何も言わない。


夜、眠る事が恐怖になったのも、この時期だ。
目覚めれば、顔中が体液で張り付き、髪までパリパリになっている。
それをシャワーで洗い流さなくてはならない。
一番、憂鬱な瞬間である。だから、朝目覚めるのが嫌だった。
このまま、目が覚めなければいいと何度も思った。
夢じゃないかと、何度も思った。
しかし、これは現実であり、目は毎朝覚めるのだ。


しかし、ある朝、俺は壊れた。

いつものように目が覚めた。
多少はなれた、顔の体液による張り付いた違和感。
いつもと違う。片目が開かない。顔が枕から剥がれない。
顔中がヒリヒリする。俺は声を殺して泣いた。

その頃、俺は東京(祖師谷)に母方の祖母と同居していた。
妹と親父と母親は、実家(福島・いわき)の方に住んでいた。

俺は電話をしたんだ。
「もう駄目だよ。無理だ。苦しい。助けてくれ。」
母親が、2時間かけて迎えに来た。あまり、覚えていない。
俺は、兎に角寝たかった。現実から逃げたかった。

この時期は、家族にとって最悪な時期だったろう。
母方の祖母が緊急入院(階段から転落、ちなみに今は元気だ)。
妹は摂食障害で入院直前、そして俺はこんな有様。
やれやれ、の一言に尽きる。

俺は実家に帰り、ゆっくりとしていた。
顔に張り付いた体液を拭いたり、剥がしたり。
風呂に入ったり、顔に塗れたタオルを乗っけてるのが気持ちよかった。
今でも、顔に布が当たってると落ち着くのはその所為かも知れん。

考え方がネガチブになったのも、この時期だった。
全てがマイナス方向に向かっていた。



この時期があったから、詩人になれたんだ、と思っている。
この時期があったから、憂治 誡になれたんだ、と思っている。
(以降、時間を見て更新したい)


散文(批評随筆小説等) 漏れが美少年だった日々(対アトピー戦記) Copyright 虹村 凌 2004-12-12 14:32:35
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