ドラディヤの錬銀術師
高原漣
本日はドラディヤの錬銀術師こと、エスメラルダ・ザナドゥの話をしよう
彼女の生涯には謎が多い。
廃火歴449年(452年とする説あり。※要出典) クゥインヤ西部のアエルダートに生を享けた彼女は生後すぐ疫病(※ある文献には『ぶどうの業病』であると仄めかされている)で両親を喪う。
よって当時の名前は不明。
『エスメラルダ』の名は育ての親とされる『マギ』ことダァト・イグナイィ・ヨーグソトフ・ザナドゥの名付けたものと伝えられている。
第八次ハルピュイア海戦(451年)にて侵蝕爆雷に触雷、除籍された中部連合軍コルベット艦『ミヌート』およびフリゲート艦『エクセラー』の金属純化・錬銀術式を描式するため
アエルダートの隣町(隣町とは言うが、7リーグは離れており、互いの交流はあまりない)であるミクマグスに逗留していたダァト師のもとに、幼子が連れてこられた。
未払い分の賃金に充当するためとも(錬銀術には幼児の生肝が必要という風説が当時しきりに流布されていた)言われているが、詳細は不明
「5歳くらいの肌の浅黒い娘で、瞳の色が深い翠色だった」とは、ダァト師の後日述懐するところである。
さてこの奇縁はここに始まる。老錬銀術師がみなしごを憐れに思ったかはわからないが、ダァト師は彼女の身元を保証するとともに、名無しだった娘に『エスメラルダ』の名を与えた。
生涯独身で旅に身をおいていた老人が、これほど他者に入れ込むのはたいへん珍しいことだったと、当時を知る金属商人デボチクは語った。
あるいはその比類なき素質に、気がついていたのであったろうか。
老練の術師は彼の移動工房でエスメラルダを手伝わせながら(「エメリーなどと呼んで実の孫のような可愛がりようだった」とはデボチクの談)街から街、港から港へと旅を続けた。
転機が訪れたのは廃火歴460年、ダァト・イグナイィ・ヨーグソトフ・ザナドゥ翁が南方大陸の北の玄関口であるナペナペの港町で亡くなった。
死因は老衰とも、夷人の船員に突き飛ばされたときの怪我がもとで衰弱死したとも、はたまた白昼の路地裏で不可視の怪物に頭から貪り食われたとも言われているが、今となっては知る由もない。
人生の先導者を喪ったエスメラルダは、これ以降かけ出しの錬銀術師として生計を立てていくことになる。
薬草の採取・転売で元手を稼いだ少女は、南方大陸に棲む空人魚の航空艦艇に使用される軽金属を精錬する過程で廃棄される、純度の低い金属片や搾りかすである岩滓(ほとんど泥のようなものだ)を入手し
これを見よう見まねで身につけた錬銀術で純度99.99%クラスの純銀に変成させ、まさに字のごとく路銀を稼いだ。
よく名の知られる歴史書に最初にエスメラルダの名前が登場する(ごく小さい記述にとどまるが)のは廃火歴464年のことになる。
当時対立を深めていた魔術ギルドと錬金属術クランの抗争に巻き込まれた彼女は、簡易工房として根城にしていた安宿の部屋を間違われ、雹術使いに命を奪われそうになる。
突然の襲撃に、誤解をとくことも、相手を説得することもできなかったのだろう。(部屋の様子がいかにも金属術クランの術者が構築する工房然としていたのもまずかったのかもしれない)
少女はとっさに攻勢術式を描き、逃げ出そうとした。(術の副産物である変成光で目眩ましを計ったか?)
ところが、ろくな描式もせずに放った錬銀術が、相手術師の回路を逆流し、通常はたいへん難しいとされる非金属の金属化(錬銀)に成功したのだった。
この一件で雹術使いを半殺し(彼は銀の彫像のようになってしまった)にしてしまったエスメラルダは、魔術ギルドから追われる身となる。
(チャイムの音)
今回はここまで。レポートの提出期限は灰色熊月の7日まで。それではごきげんよう
(椅子を引く音、学生たちの談笑する声)