米と三角
はるな

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やあ天気が良いからなにか灰皿の代わりになるものを持ってきてくれないかと言うと掌をむける。あまりに白くて使いものにならないな、どこにいたって日かげをつくってくれるのならまだしも。
これはほんとうは秋なんだよと言う、茂るからではなくさらさら落ちるための葉月だよ。じゃまくさい緑、光、海辺はほんらいそうやって肌をあぶるためのものではないんだよ。


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省略された言葉を探してしまうともう駄目だね、お終いだね、余韻を埋めようとする無粋さ、みっともないね。わたしはかがんであなたの顔をみた。見えなかった。暗すぎて見えないのか明るすぎて見えないのかわからなかった。
わたしはお話をつくりたいのじゃなく、お話になりたかったんだけどね。
最高はどこにもないよ、いまはどこにもないよ。創造して終わるもの、通り過ぎるもの。自分から捨てたものだけが自分のもの。
わたし自身を手に入れるためにわたしがしてきた物事の多く。わたし自身をどれだけ捨てられるかを試してみたんだけどできなかった。わたしは永遠にわたしを手に入れられなくて悲しい。境界じみた世界、微生物、カーテン、脅迫まがいの文章文章。
いちばん近いのは、奪われること、はやくわたしからわたしを奪ってね、だから。それでもただ近いだけ。



りぼんの話をする。
りぼん結び、あるいは、ちょうちょ結びの話のこと。
不器用のせいで、それはずっと上手にできなかったことのひとつだけど、あるときに気づいたのは、わたしの体から離れたものへならそれなり上手にりぼんに結べる。というのは、いぜん、働いていたコスプレバーで、女の子たちの制服の後ろを結んであげているとき。ふっくらしたりぼんを、背中につくり、でも、当の本人は見ない場所。わたしは、自分のだけはうまく結べないから、どうかするたびに男のひとたちが、あれあれまあそんな結びかたをして、と、結いなおしてくれた。ありがとうと言ってりぼんのように笑みを結ぶ。
結ぶっていうのは、なんて尊い言葉なんだろう。指さきの、繊細さを思い浮かべられるし。やわらかくてしなやかで、それでいて断固とした響き。
からだでからだを強く結びましたって、吉井和哉もうたっていたし。重ねるのではなく、結ぶものであればいいけど、うまくいかないな。

思い入れが強すぎるのよ。
というのは、わたしが学生だったころに、先生が言っていたことだけれど、その意味がいまは理解できる。それは作品撮りにかんするアドバイスだったな。すでにあるものをモチーフ(あるいはテーマ)にして写真をつくっている子だった。
思い入れなんて、強ければ強いほど良いと思ってた。なにかを作るときにはとくに。
「運転が好きだったらドライバーなんてやってませんよ。」と、言ったタクシーの運転手もいた。その人は、「たいして酒が好きじゃないから、水商売やってけるんだと思いますよ」とも言っていたし、それも先のアドバイスの言葉とだいたい同じ意味なんじゃないかと思う。
(思い入れが強すぎるのよ)
すこし時間が経ったいま、あれはしばしばわたしの頭のなかに響いている。
(第三の目でもあればいいんでしょうか)


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部屋がかわると見えるものもずい分ちがってくるのかなと思ったけれどそんなことはなかった。窓のむこうには空とコンクリートでできた色色のものが見える。そして時おり子どもの声がして、夕暮れはちゃんと赤いし朝の光は青い。窓のこちら側には膝を立てているわたしがいる。それが良いことなのか悪いことなのかがわからないのだ。
場所がかわった、顔がかわった、姓がかわった、数がかわった、そうすると見えるものもずい分ちがってくるのかなと思っていた。



日差しがだくだくとそこいらじゅうに溢れちらばっていよいよ身のおきどころがなくなってしまう。


散文(批評随筆小説等) 米と三角 Copyright はるな 2012-08-10 15:35:26
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