「沈黙」についてのノート--ヴィトゲンシュタイン、G.スタイナー、石原吉郎の「沈黙」
N.K.

 ここ1年余り、自分は沈黙について思いを巡らさざるを得なかった。端的に言って震災によって亡くなられた方々を直接の被害が軽微であった場所から安易に話すことに抵抗を覚えたからだ。「語りえぬものについては人は沈黙せねばならない」という場合のヴィトゲンシュタインの「沈黙」についてのあの結論が、即座に思い浮かんだ。それから、詩人・石原吉郎が、驚くべきことに、詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていいと述べて、詩を定義しているのに出会った。さらにG.スタイナーの「言語と沈黙」のはしがきで、訳者の由良君美が著者をを踏まえて「言語が優位を占めていた歴史上の時代から・・・おそらく部分的沈黙の時代相へと移行しつつあるのではないのだろうか」と述べるように状況を捉えるに至った、G.スタイナーという知の巨人が、言語と沈黙というテーマを扱っているのを本当に遅ればせながら知った。
 G.スタイナーによって、自分が戦後の詩について漠然と考えていたこと、つまり戦後詩は、前提であった戦争が抜け落ちて行き、言語自体に主題を求めるようになっていったというようなことが、科学と日常言語の総体であった文学の間でも起こっており、そのことは、文学が文学を問題にするようになったと言うよりは、科学がその精緻で体系的な言語を獲得していく過程で、日常言語すなわち文学から乖離していった大きな流れの一部に収斂するとも考えられ、その大きな流れは、詩を越えたレベルでの出来事であり、世界史レベルでの出来事でもあると言うことも知った。
 震災以降、アウシュビッツ以降に詩を書くことは野蛮だという言葉が、詩人の中からも言われたようだ。自分は最初、ヴィトゲンシュタインの結論をもってよくわかるような気がした。が、そこから進みださねばならないと今思っている。例えば、石原吉郎には、こう言ってよければ、ラーゲリー体験があった。おそらく一面ではそれと関わって「沈黙」という目的が、作り上げられた。にもかかわらず、「沈黙」という言葉を持ち出して、わざわざ対象化し、詩の背後などで「語る」ことをしないわけにはいかなかった。ベルゼンやアウシュビッツという経験に対して亡命したり、ナチズムを生き延びた多くのドイツ作家は、自分たちが絶望を覚えたと言う文脈の中で、G.スタイナーは「語りえぬものについては人は沈黙せねばならない」というヴィトゲンシュタインの言を引用するが、「言語におけるこの死の感覚、非人間的なものを目にしての言葉の失敗の感覚」と続けてこのことを捕えながら、にもかかわらず、学者であり批評家であるG.スタイナーは、沈黙という言葉を待つ。「現在あふれるように出版されている作品のいくつが本当に言葉らしい言葉になるだろうか?そしてその変容を聞こうとするならばどこにその必要とされる沈黙があるだろうか?」とさらに問うことによって。
 一歩進みだすために独断を承知で言えば、ヴィトゲンシュタインは、言語で何かを表現したいと思う者に「沈黙」を突き付けて、「死を覚えよ。(メメント・モリ)」といったように思える。そしてG.スタイナーは聞くために「沈黙」を欲した。石原吉郎は、にもかかわらず「沈黙」に向かって書いた。
 「沈黙」を覚えよ。言葉を聞くためには沈黙がなければならない。言葉を書くためには向うべき沈黙がなければならない。


散文(批評随筆小説等) 「沈黙」についてのノート--ヴィトゲンシュタイン、G.スタイナー、石原吉郎の「沈黙」 Copyright N.K. 2012-08-10 12:32:47
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