しょうけいのひまらや
佐々宝砂

憧憬と書いて
どうけいと読むのだと思っていた
でも
しょうけいとも読むらしい
しょうけいのほうがかっこいい

とおもったのは
本多勝一の『憧憬のヒマラヤ』を読んだときで
ええと
わたしは
中学生で
とうさんなんかきらいだった
女子中学生の何割かが常にそうであるように

小径のひまらや
小憩のひまらや
ううん
小さいという字はひまらやに似合わない
象形のひまらや
勝景のひまらや

やっぱり
憧憬のひまらや

とうさんは山男だったから
本棚にはたくさん山の本があった
文字ばっかりのガストン・レビュファより
山の写真集が私は好きだった

寒いのに弱いから
冬山はやらない
私はやらない
いまはねむるとき
真っ白な雪にうもれて
木のうろに丸くなる
ヤマネみたいに

夏がきたら山にゆこう
ひまらやはとおいけれど
ほらわたしたちの背後には
いつも悠々たる南アルプス
夏がきたら山にゆこう
テントと
マミー型のシュラフかついで
古ぼけたカラビナみたいな絆でも
それはまだ切れていないから

とうさん
いまは冬だけど
ヤマネみたいにねむっているけど
夏がきたら
しょうけいのみなみあるぷすに
夏がきたら
きっと


自由詩 しょうけいのひまらや Copyright 佐々宝砂 2004-12-12 03:55:45
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